◆ダンサーはエロさより重心を見ろ!
jungleのvolcanoのアルバムとリンキン・パークのプレイリストを聴くこと。特に前者はアルバム全楽曲に社交ダンサーによるストーリー仕立てのMVがついている!私が特に好きなのはHolding on。
最初「女性の下着姿…?ざわざわするな」と思っていたが、サムネの部分で思わず「キャー!!」と言ってしまった。かっけぇ。ダンサーの衣装やパフォーマンスは過激なものが多いが、何故だろう。気になる。
◆最近ネガティブな話しないぞキャンペーン
人に影響されやすい体質なので人と距離を置き(遮断とも言える)、過去の自分が選択した嗜好を現在の私が「それそれ!」と強く共感し肯定する動きをしてみたら、かなり良かった。分かり手。分人(わかりんちゅ)。
他人を丸ごと理解しよう・励まそう・無駄に背負おうとしない、自他の境界をはっきりと線引きする。揺らぎやすい人はそういった自己世界を再構築する作業をしてみると自分を強く持てるのかもしれない。思春期の時に気づいていたら恥を少なく出来たものを……。
◆自分の世界観、べっちゃべちゃな件
なんのバックグラウンドも知らずにアートを観る時、感想は主観的な体験に基づくというのをネットで見た。「イラストを描く」というのは画材画法以外に様々な目的がある。依頼人に寄せるのか、視認性を高めるのか、主観的な世界を描くのかなど。
私は今年から収益を得なきゃいけないというのに自分の挑戦したい分野やイメージが未だ定まって無い。とはいえ、あらゆるアーティストには固有の世界観がある。
私の良くも悪くも見たものなんでも理解しようとする(実際はただ目を通しているだけなので理解はしていないだろう)の姿勢は、柔らかくて自信が無い世界観を叩いて固める行為とは真逆だったと思う。他人からしたら私の口から出る言葉は棘あるらしいけど、そんなの知らんわ。自信も無いわ。
◆体育で使う白いライン引きのやつ、コントロール難しい記憶
急にまたアートの話に戻る。私は以前展示会に行った際、名前や年表などテキストを見てから絵画を観察しようとしたことがあった。展示物すべてのテキストを見ようとした。結果、展示会場を出る頃には頭痛が治まらなかった。
1から10まで見たがる癖、これはネットで情報を探す時も同じだし、意識して人と接する時も割とそうだと思う(聞いてないようでちゃんと見ている)。
「ちゃんと読む」は毎回やれば本当に疲れる。人とのコミュニケーションの場合は更にメンタルがやられる。リアルタイムなリアクションを求められるのに加え、相手の昂る感情バフで更に情報が増える。全部を無条件に受け入れようとすれば当然私も調子を崩す。最悪の場合遺体が一つ増えることになる。
展示物の歴史もそうだけど、他人の過去や苦労に服従するかのごとく無抵抗に頷く必要性はマジで無い。
それを毎回行おうとするのはただのサービス。おもてなし。タダ働きだ。
私は冷蔵庫にある家族の食べ物をつい食べてしまうような"ひとでなし"だから"おもてなし"には向いてない。窓口でのサポートには限界がある。
同時に私自身の苦労も他人に無駄に背負わす必要性も無い。とはいえ別に必ずリターンが欲しくて人生動いてきた訳じゃない(自他の境界が曖昧になって共感してるだけ)。結局話は聞いてしまう。ここまで書いたけど、やっぱり話聞くのは結構好き。
◆結論
つまり何が言いたいか:この先微調整しながら会話をしていくことを心がけたいってワケ。何事もタイミング。自己コントロールとはタイミングを調整することなのかもしれない。