大学までの道中にあるセブン・イレブンの前で、たまに煙草を吸っている人がいる。女子大生が目の前を通ったぐらいでは厭わないらしく、横で無遠慮に吐き出された煙が、ゆらゆらと私の方へと漂ってくる。鼻腔を擽るその匂いに思わず息を吸ってしまって、小さく噎せながら歩みを進めた。今日も私は受動喫煙をしている。
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さて、好きな匂いの話をしよう。私にはいくつか好きな匂いがある。洗濯物を天日干ししたときのおひさまの匂い、甘くて食欲を唆られるチョコレートの匂い、定番で落ち着くホワイトムスクの匂い、フェルナンダのマリアリゲルの匂い。どれも大切でお気に入りの匂いなのだが、敢えて言うならば、わたしはそれ以上に「煙草の匂い」が大好きなのである。
初めてたばこに触れたのは、中学1年生のときだった。学習塾までの道中に少し大きめの灰皿があって、そこでいつも塾の先生が煙草を吸っていた。真っ黒のスーツに身を包んだ少し柄の悪い先生が、薄い煙を長々と吐いているのを見て幼いながら憧れた記憶がある。
「あの、」開かれた喫煙所で先生に初めて話しかけたときのことを、よく覚えている。目付きが悪いから掛けているのだという度の弱い黒縁メガネを、そのときは身に付けていなかった。先生は私に気が付くと、灰皿にぐしゃりと煙草の先を押し付けて「よお」と講師らしからぬ挨拶をした。
わたしは毎週木曜日、通塾途中で先生のことを見かけては近寄って声を掛けていた。父親は私が幼い頃から禁煙をしているので、当時の私にとって、煙草を吸っている人が珍しく見えたのだろうと思う。「こんばんは」今考えれば当然のことだが、先生は私がいるときに煙草を口に付けることはなかった。生徒の前で吸う訳にはいかなかったのだろう。指の隙間でぽろぽろと落ちてゆく灰を、わたしは見つめることしかできなかった。微かに残る煙草の匂いが名残惜しくて、喫煙所ですんと鼻を鳴らす癖は今でも変わっていない。
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「タバコ吸う人間にろくな奴はいないって」ビデオ通話の向こう側で煙草の先に火をつけながら、友人はどこまでも矛盾したことを言った。画面越しに吐かれた煙は当然こちらに届くことはなく、匂いを感じ取ることはできない。「たばこ自体が好きな訳じゃないよ」自分が吸おうと思ったことはないし、身内や親しい友人にはできるだけ触れてほしくないと思っている。ただあの頃直接嗅ぐことが叶わなかった匂いを、今でも好奇心が欲しているだけだ。