絵チャで友人が「深淵」の「淵」という文字を書き間違えていた。間の一本を書き忘れていたようで、ここ抜けてるよと言いながら、己もその昔まったく同じ間違いをしていたことを思い出す。わたしがこの漢字を知っているのは漢検の勉強の賜物というわけではなくて、小学生のとき「淵」という名前の友人が身近にいたからだった。わたしは今日、数年振りにその友人のことを思い出した。ここ数年忘れていたことも不可解なほど、わたしにとって大切な友人だったはずだ。
時効だと思うので恥を忍んで言うが、「淵」というのは小学5年生のときあるチャットルームで知り合った人間のハンドルネームであり、見たことも会ったこともないその「淵」に対して私は驚くほどベタ惚れだった。親しい友人には毎日のように彼のことを話していたので、当時から付き合いのあるフォロワーは「ああ、あいつね」と思い当たる節があるかもしれない。今ほどSNSが浸透していなかったあの時代、わたしの周りではチャットルームを使用する人がちらほらいた。そこで知り合ったのが「淵」で、彼は私の人生の中で類を見ないほど口が悪く、性格がひね曲がった男だった。
自分からルームに入室しておきながらわたしの姿を確認するなり「帰れよ」と棘のある言葉を投げかけてくるような、まあ脳天気な解釈をするならば古典的なツンデレの、かなり愉快な友人だった。わたしは彼に対して幼いなりに淡い恋心を抱いていたのかなとも思うが、正直なところあのチャットルームの利用者のほとんどが女だったことから「淵」は多分ツンデレ男なんかではなくて、ただのネナベ(もしかして死語?)だったんだろうなということが今ならわかる。それでも、現実世界とは異なるインターネットの海で出会った人間に間違っても恋をしてしまったあの経験が、少なからずわたしを歪ませてしまったのだろうと確信している。半ば本気で2次元に恋心を抱くようになったのはあの頃だった。夢小説の中に閉じこもるようになってしまったのも、あの頃だった。
チャットルームは今でも年に数回使ってはいるが、あの頃の友人はもう跡形もなくいなくなってしまった。というか酷いことに、「淵」以外の友人の名前を誰ひとり思い出すことができないのだ。「淵」のことだけ覚えていたのは、この漢字が書けなかった当時のわたしが一生懸命練習したからかもしれない。わたしは「ふち」という読み方しか知らなかったからそう読んでいたが、もしかしたら「エン」や「イン」だったかも分からないし、「ふかい」とか「おくぶかい」だったかもしれない。もう出会うこともないだろうから確認はできないのだけれども。せっかくインターネットで繋がることができても、こうもあっけなく終わるものなんだなと寂しくなった。それでもこの先、わたしが「淵」という文字を書き損じることは一度だってないだろう。