◆農業をしている
スタバレ、楽しすぎる…。友達とだらだら話しながら黙々と釣りしたり、採掘しにいったり、イベントこなしたり…マルチプレイで牧場生活できるの、た、楽しい~~~~。こういうのを待っていた…
◆3.11
この日、今でも記憶が鮮明に残っているし、人生においても色々起きた日だった。笑い話と怖かった話の半々。今後の自分の記憶の為にも実体験を改めて記載しておく。もう誰にこの話をしたのか、あまり覚えていない。
※当時のこと、不安な気持ちや状況を詳細に書いたので嫌な予感がした方は閲覧をお控えください※
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私は就活中で都内に出ており、就職先が決まらず焦っていた時だった。通ってた学校に希望職種の求人はなかなか少なかったので、手あたり次第に面接へ受けにいっていた。学校を通してるから大丈夫だろう、と思っていたその求人は大事な事を隠したまま求人を出していたようだった。いわゆる、アダルト系の仕事だった事を知ったのは会社へ赴き、説明が開始されてからだった。(笑い話)マジで知らなくて頭真っ白だった。
ほかの応募者も、私と同じ状況だったようで、説明の人が居なくなってからその場にいた皆「知ってた?」「全然知らなかった…」と戸惑うなかで数分後に面接をはじめる、と言われた瞬間に起きた。
最初は、大きな揺れだなぁ、ぐらいだった。でも、この会社の面接を受けるのか?私は…という気持ちが大きくてそれどころじゃなかった。数分後、面接を続行する、と言っていたが、空気的に「こんな状況下で…?」という雰囲気になり、社員の中でも再度話し合われた様子で、結果的にその日の面接は中止、後日希望者のみ行う旨を言い渡された。(もちろん希望なんて出さなかった)その後、責任放棄のごとく解放される(匿ってはくれないんだ…と思ったし、匿ってくれない会社なんてこっちから願い下げだ、とも思った)仕方ないので帰路のために駅へ向かう。その際、同じ空間にいた受験生と色々話した。不安ですね、という感じで。
駅へ着いた時、人がごった返していた。最初は入場規制で、あー、入れないなぁとぼんやり小一時間待った後に、一緒に居た人が隣駅から帰るので、歩いて向かいますね、と別れた。その人の顔も名前も覚えてはいない。その後、駅が封鎖された。その瞬間、私は避難民となり、同時にとても怖くなった。
その時、すごく心の支えになったのがTwitterだった。たまたま家に居た友達が近くの避難所を探してくれて教えてくれた。たまたま当時の相互フォローの人が「ヒールを履いているなら今すぐ運動靴を買って。安いやつでいい。足を守って」と教えてくれた。たまたまタイムラインにいた人が心配してくれたり、リツイートで現状を教えてくれた。とにかく私は歩きまくって避難所を目指した。電波が入るところに辿り着いたので家族に連絡して、家族が大変な思いをして迎えにきてくれた。自宅に帰宅したのは夜中だった。でも、家族と会えた時にすごい安堵した。
最初の笑い話が本当に笑い話にできたことも含めて、3/11になると一人で思い出しては各方面にとても感謝をしている。命の恩人、といってもいい。本当に、ありがとう。
SNSがやめられないのは、こういう助けられた経験があるのも1つかもしれない。だから、SNSで自分や話題がギスギスすると自己嫌悪になったり哀しくなる。誰かを思いやり、誰かに優しくできるSNSの世界であってほしいなと切に思う。