さよならララを見ました 随時更新です
さよならララ、人外ものとして私が好きな「翻訳による理解と差異」が日常レベルで起きていて、でもその差異を修正するために自分で体験して、けど自己と他者は違うから個々人由来の差異に変化していく過程が丁寧に描かれていました 人魚だから、人間だから、ではなく、ララだから、茉理だからに落とし込まれていく 世界がどんどんミクロになる 解像度が上がっていく
「さよならララ」を聞いてダバ泣き
本当の愛、本当の光、そういう「ほんとう」を頂点とするヒエラルキーではなくて、多種多様な愛、いろんな光があって比べなくたっていいし、ほんとうの心が見えなくたって、真実を見抜けなくたって、だからこそ語って、触れて、体験して、ここまで来たんだね...... ナンバーワンじゃなくオンリーワンの話だ
人魚の呪い、『ウンディーネ』由来なんだろな だったら物語の定めである悲劇に抗う話、物語の先の現実にまで行こうとする話だったのかもな
いつかきっと会えるよね、ってそんな約束で束ねない別れっていいな~~~~~~~!!!!!!(大号泣)(大爆音)いつか交わした約束は道のように続いていて、それは二人を繋ぐ道ではなくて、次の場所まで行くためのものだから......
ララがさ、憎しみもきちんと自覚して、裏切りと醜さと、なんなら蘇りたくなかったとすら言うのに、でも今までの道のりを思い出してやっぱり蘇ってよかったって言うの、結果じゃなくて過程じゃん!!!になってる 過程を思い出して、このままじゃ終われなくて、運命づけられた結末の先まで行くんだね どうか遠くまで行ってほしいよ、ララ
「わたしたちは二度生まれる、一度目は存在するために、二度目は生きるために」
「愛するためじゃなくて生きるために」と人間界を選んだララ、愛するために生まれたと言い切った茉里、ララの行く末にもしかしたら茉里がいるかもしれないし、輝かしい新しい光を見つけるかもしれないし ほんものなんてどこにもないから、どっちの生き方も素敵だから比べなくても、交わらなくても大丈夫 いつかの約束が二人の道になっている 振り返れば歩いてきた道が、見送ってくれたひとたちがずっと輝いている
今思ったらララと茉里って一緒にいるようで、ずっと一緒でもなかったんだね アンデケンはホールと接客、学校に行く人行かない人、部活に行く人友達に会いに行く人などなど でも一緒に寝て、一緒の部屋にいて、帰ってくる場所は一緒
魔女グレイスの話を見返し、ダバ泣き このひと、報われてよかったよ...... 言葉をしゃべれなくしたのがこのひとなりの最大限の祝福だったんだね うお~~~~~~~~~~ 茉里がさ、言葉を使うなって人間に罵られたグレイスに「口悪い奴」って言って、それでも助けてくれるってもうこれ報われてるやんけ 泣 言葉があったからともに生きることができた 語ることで紡がれる新しい物語
さよならララ、日常を描きつつ、描かれない日常もあったのだろうという意見を散見しますが私もそう思いますし、描かれない日常こそ日常なのだろうなと思い、その余白は大事にとっておこう派です でもボイスドラマ聞いて普通に「おかえりララ」とかないですか?と思っているのであったら見に行きます
さよならララ、ララが歩き出す話、それを送り出す話だと思っているので、ここから始まりだよなあ!みたいなそういう感じ おかえりララとかないですかね、ないわよ
尺の都合上で省かれる日常回、日常なのでそういう扱いでいい派 異論は認めます 以前友人とアニメの構成をつくってみようごっこしたらあたしバスバス日常切っちゃうタイプだったことが判明したのでこれは好みだな つか端々に見える日常が好きかも それはそれとしてボイスドラマ冬、楽しみにしてる
ボイスドラマ、すげ~~~~楽しみ あれこそ、物語からはみ出した、あるいは行間として読み飛ばすよう仕向けられた日常だから ちょっと探さないと、見ようとしないとわからないものとして楽しみました 大津家やレオとルカの漫才もききて~~~~~
さよならララ、亡くなった母親自身の気持ちを彼女たちが語るシーンがあんまないのも、今を生きる人々にフォーカスしてるからなのかな
後日談みたいなものがほしい気持ちもありますが、あたしはララの背中と足跡を見て、彼女の旅路に光があることを信じてたい気持ちのほうが強いかも もう、きっと大丈夫って思えるとこまで成長したララを見せてくれたから、そこで筆を手放してくれたことに感謝してるから
まあんなこと言ったって絶対「おかえりララ」が劇場版とかで出たら「ったく............」とか言いながら3回ぐらい見に行って大泣きして帰る自信ある
ハピエンというか、彼女らの幸せを晴れやかな気持ちで祈れる物語はいい
愛のために生きろ、人魚のために愛するものを殺せ、本当の愛を見つけて、に含まれる「王道」としての愛を全否定し、フラットに歩んでいく物語という印象ある
さよならは言わないのがもしかしたら約束なのかも そういう約束の仕方がある気持ちにさせてくれる
さよララ、愛の話かと言われるとちょっとニュアンス違うかも 徹底的に今いる場所を自分で歩くための選択と葛藤の話してたじゃん あなたが住む世界に明日も生きたいとララが言えるまでの物語だから世界を自分の足で踏みしめてくために日常にある心地良さと苦労と人の温かさが書かれたのだと思うし、それを日常への愛と言い換えそうになる、私も でもその愛を探して終わりな物語じゃなくて、この道を歩きたいと思うことって多分愛じゃなくて選択と、選択した自分とその対象への希望と肯定だから……