自分よりも優秀なひとの話が分からないことがある。
それは自分が劣っているからというわけではなく、伝え方が良くないからだと感じている。
はやりの言葉でいうと認知負荷の高い文書になっているというところだろうか。
システムを開発するときに必要なのは、解決したいことや、システム上の条件や制約が開発者にとっては必要な情報である。その要点を伝えるための文書の中に(自分が開発しないにも関わらず)システムの実装案や、実装上の相談などを行うと、開発側は結局何がしてほしいのかがわからない文書になる。
自分に対して書かれたものではないにしても、そういた文書に目を通すと脳内のリソースが消費されてSAN値が下がる思いになる。
自分も決して伝え方は上手ではなく、同じようなことをしてしまう瞬間はあるのではないかと思う。でも、解決したいこと、その条件はできる限り簡潔にまとめ、こうすればできるんじゃないかな?というアドバイスも含めた提案は最後に補足的に書くようにしている。
役職も上だし、間違いなく自分よりも地頭は良いはずの人がそういう文書を流しているのを見るとどうしてだろう…と感じることがある。読み手への意識というところなのだろうか。自分と同じようなクラスタにいて、誰かに伝えるにしてもなんでもツーカーで通じるような環境に常にいる場合。どんな言葉でも相手に対して伝わるのでそれでよいのかもしれない。そういった環境にずっといて、ほかのクラスターの人とは話をしないのであればそうなってしまうのかもしれない。わからないけど。
相手方にとって、内容がされておらず、読み取りの難易度が高い文書を送ることで相手側が勘違いすることは避けなくてはならない。自分が伝えたことで相手方が勘違いをしてしまう、その責任は自分にある。
勘違いする責任を相手方に押し付けることは容易だ。けれども、そういったコミュニケーションは良くはないし、わざと勘違いさせるような言い方をすることはEvilだ。
責任をどこまでも自分に負わせると、際限はない。とても疲れる。けど、相手にとって認知負荷の高いコミュニケーションは避けよう。そういう意識は持ち続けたい。