(コレを書いている時点でいくつか懇親イベントにに誘われているが、参加したくないと思っているわけではないので心配しないで欲しいです)
懇親会における「ぼっち」問題について考えてみる。勉強会やカンファレンスの会の設計として「懇親会」が用意されていることは多い。むしろ懇親会のほうが本番とまで言う人もいる。
ただし、ある種の人にとってはその参加ハードルは非常に高い。自分もここ数年に至る前はかなりの苦労があった。
会話の輪に入れない
会話を始めたとして、一人の相手をずっと専有することで迷惑をかける(これは今でも過去の失敗について脳内反省会が発生している
意を決した結果、前のめりになりすぎて引かれる
ネットでよく見る人と喋りたがる
場数を踏むことである程度の改善はできた……とは思う(というかそう信じたい)
「会話にいれてくれ」と素直に言ってみる
適度に話しを切り上げる
また、余裕があったら話し相手が見つからない人に対して会話の場に入るることも促している。
なぜ、このような会話のハードルができてしまうかを考えると、人は自分と近しい人と固まりがちという傾向があると思う
知り合いに声をかける
同じような属性を持った人を探す
共通の話題があれば会話を始めやすい一方で、そこからあぶれた人にとってはそれは大きな壁となる。いくつかの勉強会では、「会話の輪の一部を開けることで会話の参加ハードルを下げる」との取り組みがされているらしい。とても良いと思うが、すべての解決になるとは限らない。空間が共有されたとしても会話のキャッチボールが始まるかは話しが別だ(付け加えると自分は飲み会のシャッフルというものが非常に苦手だ。知らない相手と同じテーブルで組まされても何も話題がでてこない)。
また、勉強会のような場では「登壇者となることでボッチを回避する」というテクニックが語られることもある。これは自分の経験上あまり役に立たなかった。
登壇者と聴衆の間には不均衡さが生まれる
そもそも、興味関心の引く発表ができていない(多分こちらが問題だろう……)
見ず知らずの人に話しかけるハードルが高い
登壇者ボッチは発生しうる。
「登壇者に話しかける側」としての経験を考えると気の利いた感想が絞り出せず「え〜〜〜〜っと、すごい良かったですぅ!」レベルの声かけで会話が終了したこともある。人の話しを聞いた後で、すぐに感想が整理できるほど頭の回転が早くない。
とまぁ、懇親会ボッチを回避するための手段はいくつか存在するが、どれも決定打にはならなさそうというのが個人の感想である。なので様々な対策が同時になされた方が良いと思う。
主催側の仕組みづくりも重要だが、場を盛り上げる意識は参加者側も持ってもよいのではないか。そういうコミュニティなら参加しやすい。ただし「受け入れる」というのも経験や技術がいるため強制は難しい。
会話のきっかけが作れたとして、次に何を喋るか。
お互いの外から見える特徴(たとえば職業など)をとっかかりにするのはハードルが低い。しかし、人によっては特定の話題を避ける、もしくは触れ方を慎重にしてほしいこともある。コミュニケーションは双方のキャッチボールの上に成り立つもので臨機応変に対応する必要がある(付け加えておくと、「一般的には問題ないように思える話題」であってもその人のコンテキストに合わせて考慮をすべき、といことを最近ようやく学びつつある)。
自分の反省として、ある身体的特徴をフックに会話を始めてしまう経験がいくつかあった。そのとき、相手は戸惑いながらも会話を継続してくれたが、今になって思い返すと不快な思いをしていたかもしれない。相手との会話を一方的な学びの機会として搾取してしまっていた可能性がある。
(ちょっと別の状況の話になるが)自分の例で思い返してみると、実家に帰ったときに家族から毎回「最近太った?」と言われており、その度「この瞬間帰ってやろうか?」と感じることが何度もあった。このやりとり自体に悪意はなく、僕の体を心配してのこともあると思う。慣れるが、不快を抑えているだけだ。
あらかじめ何がNGとなりうるかを冷静に表明してくれる人もいる。個人の情報のカミングアウトをセットで行う必要があり、勇気のいることだと思う。不勉強な自分としてはそういう話しを見て積極的に学んでいかねばならない。
NGが共有されると同時に懇親会で何を喋ると良さそうか、その具体的な事例も共有されてもいいのではとも思う。お見合いや婚活での会話事例が共有されるように、懇親会においても会話のノウハウが気軽に共有されてほしいと人見知りの自分は思う。
(追記):
色々書いたが、総じて「懇親会に参加してよかったな」と思うケースが多かった。もしいま壁を感じている人がいれば勇気を出して参加してみて欲しい。「会話にいれて」といって嫌な顔をされることは僕の経験ではなかった。
(ここだけ更に追記):
声を上げるのがハードル高ければ何食わぬ顔で近くに立って混ざるのもありではないか。僕は気にしない。懇親会であるのだから、共通の話題を共有できることは嬉しい。となると運営には輪の一部を開けるアナウンスをお願いしたい。
また、会話の一部で失敗したとしてもそれですべてがNGとなるかどうかは話しが別の……はずだ。めげずに会話を続けていけばいいと思う(これを書いている時点で、僕は過去の失敗のいくつかをずっと反芻し続けているが)。
反対に、無理に懇親会に出る必要もない。最近は自分も懇親会前に帰ることも増えた。それはそれで自由だ。
ちなみに、自分は飲み会の失敗例も豊富で、
会話が弾まないことをごまかすために記憶が飛ぶまで酔った(しかもビジネス上のつながりのある人に対して)
近頃は酒に弱くなって飲酒しない
わざわざサシ飲みに誘われたにもかかわらず、盛り上がらずに30分で終了した
飲みにいってからなんとなく疎遠になった
などの事例がある。そのため、特にサシ飲みに関しては清水寺の舞台から飛び降りる(飲み会を機に関係が消える可能性もある)くらいの覚悟は持っている。