⚠後半から震災、津波、生死に触れる話題で暗い。
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ということにしとこう。ソシャゲしてたら日付変わってた。
1日くらいかかんでもええか〜と思ったんだが、なんだかイズイ(とんでもなく収まりが悪く落ち着かないという方言)ので書いとこうかと。以前にも、寝る前までは今日の精神で日付変更後に書いたことあったしね。
まあ今日は10時過ぎまで惰眠を貪り、大爆発した寝癖を直し、着替えながらパンを食べていたところに、障子の張替えミッションをこなしにやってきた母親の襲来があり、夢の寝正月はあえなく夢と散った。
障子があるのは寝室のベットの真横。前回は時間的にも見逃してもらえたのだが、今回は新たな障子を携え母親はやる気満々の様子。とは言えこちらにもアレコレ事情がありますので、猫を生贄に捧げ全速力でお片付けしました。
いや〜焦った。ちょうど前の夜に「母親が障子張替えにやってくる前に片付けないとな〜」って一人で喋ってたところだったんだよな。十数時間後に実行されるとは思ってなかったわ。
三越伊勢丹のお節も持ってきてくれたのですが、いやマジで美味いね。ちゃんと今どきの味覚に合わせ食べやすい味付けになってて感動した。冷めても美味しいし、素晴らしかった。
んでまあ、夕方に石川でM7の大地震。日本がはじまで揺れたの、脅威ですね。大津波警報が出たりと正月早々非常事態。東北の311を経験した者からすると、やはりかなり緊張しました。津波の予測が10mを超えなければ早々大被害にはならない、予測が5mまでなら堤防から大きく溢れることもそうないとは、幾度もの津波警報の経験上理解しているのですが、不自然に揺れる海面はやはり怖い。
それでもふと湧いてくる、生き残った者として経験を伝えて、それで一人でも生き残る人が増えるなら、という感情。
津波から生き残る知恵というほどでもない。全ては状況次第だ。場所、予測数値、個々の移動能力、考慮すべきものはいくらでもあって、フェーズによって最善の行動は変わる。
あの日、あの時、僕は何度か生死を分ける判断をした。一番初めに『出先の内陸から犬を助けに沿岸部に戻る』という『間違った』判断で動き、死地に飛び込んでしまったので、津波を目にした瞬間からは一瞬一瞬が命の危機だった。思考速度と判断力、身体能力。そして胆力にある程度恵まれたから、犬も僕も生き残ったが、一息ついて見回した周囲は絶望に満ちていた。
無事だったというより、『生き残った』という感覚。そこに罪悪感はないけれど、どうしようもなく以前とはなにかが違う。
SNSで災害のたびに現れる「どうせ無理だし」「生きることに執着してない」「だから、災害対策はなにもしない」を主張する人を見かけるたびに、心の中がやりきれない思いで掻きむしられる。そういう冷めた態度が、デマより冗談より、何よりも心を乱す。
あの日、自分の周囲にあった死に様が、脳内で駆け巡る。やりきれない。虚しい。生きようとして生きられなかった数多の命への思いが、感情線を掻き鳴らして騒がしい。
──どうか、生きる努力をしてくれ。災害では死なないでくれ。他は好きにして良い。災害で死のうとしないでくれ。死んだ幼馴染と生き残った僕のために。
そんな身勝手なことを喚き散らしたくなる。
災害の多い国だ。わかっている。僕だって常に備えよと言い含められ育っている。漁業なんて自然相手の商売だ。ままならいことは山程経験してきた。それでも、自然とはなぜこうも理不尽なのだろうと、恨み言が湧いて出る。
だって、なにも正月早々じゃなくたっていいじゃないか。今年一年の平穏無事を祈る隙すら与えてくれない。人に干渉するような神を信じちゃいないが、それでも、それでも。
明るい一年を、平穏な一年を、ただそれだけを望むのすら、叶わぬ贅沢なのか。