久しぶりの休日。湯たんぽに守られ、猫が破壊し尽くした障子の穴から差し込む朝日を浴びて温い布団の中で、明日早朝から入っている用事を思い出し、忘れていた焦りと憂鬱感に胃のあたりが重くなりつつ、古いブラウン管テレビが脳裏によぎった。
アナログ放送が終わり、地上デジタル放送が始まったのはいつのことだったか。もう十年以上前であることは確かだった。
今の子供にテレビを描せたら、きっと自立する薄い板を描くだろう。もしかしたら壁掛けなんてオシャレなバージョンも見れるかもしれない。
僕は木箱ダイヤルが付いたレトロなテレビが居間にあったのを朧気ながら覚えている。臙脂色の板で囲われ、台と一緒になっていたような。映像が乱れても叩けば直る昭和な奴。
小学生に上がる頃には、さすがの我が家も黒っぽい無骨なブラウン管テレビに変わっていたが、後ろに長いテレビの上に直接置かれた郵便ポストや干支の貯金箱が懐かしい。田舎のお祖母ちゃんちにあるアレだ。猫が上に乗るから、よく落とされていた。
毎回前置きが長くなるのは僕の悪癖だな。本題はここから。
『地デジカ』って今なにしてるんだろう。
アンテナの付いた鹿のキャラクター。正確な姿を思い出そうとするとDAIHATSUのカクカクシカジカCMが記憶の検索を邪魔する。
アナログ放送が終わり、地上デジタル放送に移行する宣伝周知を担当したキャラクターだ。新しい技術が作られ、より良いものを求めて世界は移り変わる。そんな中で生まれた存在。
板型の薄いテレビは映像の美しさを売りにしていたけれど、そのスマートな姿だけで新しい時代への憧れを抱かせ、十代終わりの斜に構えた年頃の僕は、テレビの上の置物やそこで暖を取る猫の居場所を心配してごまかした。
あの新しい時代へ導いた鹿は今どこにいるんだろう。
消えたのはアナログ。生まれ根付いたのはデジタル。
でも、それを皆に伝えた存在はひっそりと消えていった。
仕事をこなしてもいないくせに、厚かましくも兼業イラストレーターなんて肩書を名乗る僕は、あのキャラにも生みの親がいることを知っている。
地デジ化を周知する存在をコンセプトにデザインしたキャラクターが役目を無事果たし、新しい時代への移行は滞りなく行われた。めでたいことだろう。デザイナー冥利に尽きるのではないだろうか。
だから、ふと思い出してしまったことで生まれたこの感傷は、ひどく身勝手なもの。
願わくばテレビ放送や平成の歴史に記録され、後世にその功績が伝わりますように。
なんとなく、セントくんに話題をかっ攫われそうな予感もして、ちょっと笑ってしまった。