幸せだっていいじゃない

八角
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*僕、八角という奴について書いています。タイトルの割に、犯罪被害から鬱などの重い過去の話を含みます。最終的にはハッピーエンドの着地点。

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さて今日はなにについて書こうかと思考を巡らせた時、昨日までにここでいただいた感想を思い出した。

僕のそぞろ歩くような思考日記は、どうやら面白いと感じてもらえているようだ。ミスデザのしずネットチャンネルから飛んで、あの文章量を読んで、リアクションをくれるだけでなく、感想を送ってくれる方がいるという時点で、これはもう文章を書いて公開するという行動の結果としては、大いなる成果、八角自分史に残る大勝利である。

もしかしたら読んだ人は、八角という生き物の観察をしているのかもしれない。冬のはじめに流し素麺をして、ミニトマトをコースアウトさせてるような生き物だ。可能性はある。

実をいうと、僕の人生は割とヘビーらしい。そんな気はしていたし、心の底から人や世界を呪ったことだってある。家庭環境を話しただけでそう評されたし、人にはあまり話していないが幼少期の犯罪被害が、遅効性の毒のように蝕んで、時限爆弾のように爆発し、心を病んだこともあった。全てが嫌いで、世界から消えてしまいたいと、声に出さず全身で叫んでいた。

おそらく僕の生来の質は、『好奇心が強く、誰にでも優しい』という保育所でもらった年長のお誕生日カードに書かれた先生の一言につきる。

本格的に病む前はどちらかといえば人の群れの中心にいて、自分が考案した遊びで皆を楽しませるのが好きだったし、近所の老人の庭の手入れの手伝いをして、長い話を聞くのも好きだった。学校でも一人でいる子が気になった。その子が楽しく混ざれるルールや遊びを考えるのも、当たり前の役割だと思っていた。まあその割に、深い付き合いを誰ともしないところが僕なわけだが、まあ人に優しい方であったとは思う。

まあアレだ。お山の大将ってやつをやっていたわけだ。

そんな僕が心を病んだ。原因は、優しくした相手が犯罪者だったこと。

人が嫌いになった。大人が信じられず、嫌悪した。思春期の反抗心と合わさり、助けてくれなかった社会をも呪った。巷にあふれる、世界を呪い、死や命を軽く扱う歌にひどく共感した。

とにかく不幸に染まっていた。不幸であることに価値さえ見出していた。自分の受けた理不尽が、不幸が、ありふれたモノだなんて、知りたくなかった。

最終的に、病んだ当時に知り合って僕を好きになって情をかけてくれた人たちを、ほぼ無差別で傷つけた。縁は完全に切れてしまっている。これは僕の罪だ。

それでも、家族や幼馴染達の与えてくれた愛情は本物で、僕の生来の善性を信じてくれていた。だからこそ、朦朧と自死を望む心を理性で抑え込んで、存在自体が生まれる前から消えてしまうことを、信じもしない神に願った。病んだ原因を知らず、病んだことすら認めようとしなかった母は、怠惰な僕を更正させようと必死になって、己の鬱を再発させた。病んでいく母と僕を離すため、親戚の家に預けられた事もあった。

精神の状況が改善したきっかけは、震災の津波で死にかけたことだった。死にかけたとはいっても、悪路を走り助けに戻った飼い犬に見捨てられ、夕日に向かって泳ぎ去るその後ろ姿に馬鹿野郎〜!と叫んだ僕の被災体験は、親戚の中では鉄板ネタになるくらい人気があるのだが。

とはいえ、目の前で全てが瓦礫に変わったのだ。二十年程度の人生観なんて簡単に変わる。

───人の世の理不尽がなんだ。自然の理不尽のほうが、よほどじゃないか。

たぶん、そんな感じでふっきれたのだと思う。

精神を患った原因は、いまだに棘をむき出して心の中を転がりまわっている。だが、時というものが与える苦楽様々な経験は、最大の薬だったらしい。三十路を超えた今は、ぶり返しても冷静にその傷の手当ができるようになった。

というわけで、読者の皆さんには存分に生態観察をしてほしい。普通を目指して、ズッコケルような人生だが、楽しく生きようとする様を見てほしい。

今、幸せだって心から叫べることが、僕は本当に幸せなのだ。

コンビニの一番くじを引くかどうか散々悩んで、連勤のご褒美に1枚だけ引いてみて、一番下の景品のコログのチャームに心から大喜びするくらい単純な、そんな『幸せ』で溢れている日常が送れるようになったのだ。

とはいえ、生きている限り悩みは尽きない。

目下の悩みは、夕飯の鍋にいれようと圧力鍋に放り込んだ手羽元にタイマーをかけ忘れたことである。無事だろうか……まあ、崩れていても美味しいだろ。そのへんは今も昔も適当だ。

@8kaku
八角です。兼業イラストレーターやってます。 普段はMisskey.Designに居ます misskey.design/@8kaku