親孝行なるもの

八角
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本日も母親の襲来があった。

まあ、昨日の北陸の震災で心がざわつくのは皆同じ。東北の震災当時、母は飛行機を使わねば戻れない離れた安全地帯におり、翌日の夜にようやく僕からの生存報告メールが届くまで相当心労をかけたのだ。現地にいなかった者にも、それ故の心の傷が残っていることだろう。

破壊され死の気配に満ちた被災地の映像は、恐怖と不安の記憶を鮮明に呼び起こす。かといってニュースを見なければ、それはそれで気になり不安になるのだから厄介だ。

母と同じ家に暮らしているはずの親父は、相変わらず出会い系で知り合った詳しい住所が不明の女性と連絡を取ろうと、意味不明な年賀状を出して郵便局員と身内を煩わせ、役に立たない。会社のことがなければ、多額の慰謝料を取られ捨てられるのは自分だという自覚がないらしい。あまりの軽挙妄動に「せめて子が誇れる父親として死んでくれ」と僕が珍しく声を荒らげ叱責した日から、半年も経っていないのではないだろうか。

母も、そんな耄碌した色ボケ爺と同じ家にいるのは苦だろう。この非常時に、30年以上家を支えてくれた妻の精神的支柱としてなんの役にもたたないのだ。ゆえに大掃除を終わらせず年を越した手のかかる子供の世話を焼いて気を紛らわせようというのは、たしかに名案だと思う。辛い現実から目をそらす大義名分に使われることは、僕にできる親孝行の一つだろう。

片方しか終わっていなかった障子の張替えを、母の近況を聞きながら親子でした。アップル製品やサブスクを使いこなし、オタク趣味を満喫している人なので、それらを駆使し得た推しのことを話す母は少女のように楽しそうだ。60過ぎて新しくはじめた挑戦も、苦労はあれど楽しんでいるようで安心した。

買ってきてもらった障子は、障子紙に糊が吹かれアイロンで熱して貼り付ける物だったので、母が仮貼りしたところに僕がアイロンを当てるという役割分担で貼り付けていく。

「あら、ケイさんがやったところ凄く綺麗ね」「本当にケイさんはこういうキチッとする作業が上手ね」「しめ鯖も、骨抜きとかの細かい作業もキチッとするから、ほんと美味しくて上手よね」

どういう心境の変化なのだろうか。今日の母はやけに僕を褒めた。

「そうかな?まあ、アイロンまっすぐ当てるだけだし、よく出来た商品だよね」「ああいう作業は手順通りキッチリやれば出来が保証されてるからね」

ズボラを自認する僕なので、母が連呼する『キチッと』という単語が上手く受け取れず、作業に集中するフリでアイロンを動かす自分の手を見つめたまま、褒められ慣れていないのがまるわかりの不器用な返しをした。なんというか、似た者親子なのだ。

お互いに鬱を経験し、お互いに対する警戒心もゼロではなく、心に傷が多い親子だ。褒められた経験も褒めた経験も、お互いに少ない。三十路も過ぎたいい大人だというのに、僕はそれ以上その会話を続けられず、情けなくもそそくさと夕飯の支度に逃げた。

それからのんびりと他愛ない会話をし、母は帰っていった。甘えん坊な大型犬と、留守番したからご褒美頂戴と我が物顔の猫達が、今か今かと実家で待っている。

母は愛情深い人だ。ツンデレなので表に出てくる言葉はキツイが、いつでも父と我が子を優先してきた。

田舎のお正月の盛大で面倒なしきたりも、娘が嫁ぎ先でバカにされないようにと頑張っていたと、今日その理由を初めて聞いた。実際、東京のそれなりに生活水準の高い家に嫁いだ姉は、姑から「どのようなお節を食べていたの?」と聞かれたそうだ。田舎の漁師の娘という無意識の見下しが、一度しか会っていない僕にすら伝わるお姑さんだが、ド直球ストレート勝負な性格の姉には伝わらず、田舎の豪勢で愉快な正月を聞かされ口を閉ざしたらしい。母の努力が実を結んだと言えるだろう。

一身に向けられる愛情に、僕らはただ誠実であれば良い。いや、誠実であらねばならないと、大人になった今は思っている。

持ってきてくれた物に感謝し、その労力をいたわり、感想を述べる。やることはただそれだけだが、それでも母という個人の愛情と努力を認め感謝することに意味があると思うのだ。

親からの無償の愛を、無償のものと思い込んで良いのは二十代までだ。無償の愛には、相応の誠意を返さねばならない。そうでなければ、母親という職業はただ消費されるだけで、孤独じゃないか。

家で信仰していた新興宗教は『先祖供養、親孝行』に重きを置いていた。だからこの考え方も、幼い頃から身に染み付いた倫理観なのかもしれない。それでも、間違ってはいないと思う。

向けられる愛情に、誠意と感謝を。

それはきっと、人としての道理だろう。

これから何年元気でいてくれるかわからない。それでも、今まで僕が生きてきた年月より短い確率のほうが高い。

関係が一度破綻したため、共に暮す覚悟はお互いまだできていない。今のような、少しだけ干渉するような、程よい距離感で、お互いを大事にしていけたら良いなと、そう思う。

親孝行をしたい相手がいることもまた、幸せなことなのだからと、どうにもならないクソ親父の処遇を考えつつ、今日を終わろう。

……母から渡されたR18BL小説、ちょっとまだ勇気が出なくて読めていないので、早く読めという若干の圧を感じるんだよなぁ

@8kaku
八角です。兼業イラストレーターやってます。 普段はMisskey.Designに居ます misskey.design/@8kaku