あ、日記書いてねぇや
なんて、ぼんやり思い出し、風呂に浸かりながらミスデザのしずネットチャンネルを開いた。
今日も今日とて複数の日記が投稿されている。お疲れ活字中毒者には、手軽に読める書き切りに近い文章はとてもありがたい。一つ読んで、面倒くささが勝り匿名にするでもなくお手紙を出したり、リアクションを押したり。ダラダラと時間を潰して、現在時刻22時30分。
スマートフォンというのは便利だ。『今日』と打てば『2023/11/23』と予測変換に出てくるし、『今』と打てば『22時31分』と出てくる。タスクが雑多に積み重なる責任者なんて仕事をしてると、時間と内容をメモする頻度と重要性は高い。若い頃は紙の手帳をメモやタスク管理に使っていたが、今はほぼスマホだ。忘れっぽい僕にはスマホのアラームが命綱だ。
そういえば高校の推薦入学で出題された小論文のお題は『携帯電話の功罪について』だった。
当時、高校生に上がれば皆が持つようになっていた文明の利器も、中学生の僕にとっては親と姉が使ってる高価な電子機器。
3月には自分も持つことは確定していた物ではあったし、恋人と連絡を取るのに姉のを借りたりもした。親に知られずに連絡が取れる便利なもの、自分を助けてくれるもの、面白い世界とひっそり繋がれる物と、そんな良いものイメージだった。
そのため受験当時はその罪と言われてもあまりピンとこず、日曜朝のニュースで有名な老人コメンテーターが渋面で苦言を呈していた内容を思い出しつつ、どうにか内容を取り繕った。まあ、そんな薄っぺらいお粗末な小論文が認められるわけもなく、推薦では落ちて筆記試験で入学したのだが。
さて、現在時刻22時44分。
今のスマホと当時のケータイを比べれば、誰だって今のスマホを取るのではないだろうか。
そりゃそうだ。だからこそ、時代の影に消えていった。
ただ、たまに、本当にたまにだが、懐かしくなるのだ。
あのパカッと開ける感じとか、ボタンの押し心地だとか、そういう今も手に残ったあの感覚が。
ジャンプ位しか操作できないフラッシュゲームで時間を潰したり、物理ボタンを押しながらケータイサイトを巡回したりしたあの時間が、なんとも懐かしい。
だって、スマホだと棒人間すら高画質なのだ。
白と黒の鉛筆で書いたような棒人間をジャンプさせるだけの、あの脳を疲労させない視覚情報量が、ちょっとだけ恋しい。
授業中に机の中で指の感覚だけを頼りにメールを送るあの集中が、ちょっとだけ懐かしい。
そんで現在時刻は22時53分。やばい。風呂の湯が冷めてきた。
え?
今ならサンタさんに何を頼むかって?
そりゃ最新のハイグレードiPhoneだよね。