忘れられない春の話

八角
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公開:2025/5/19

この季節になると、毎年思い出す人がいる。

実家の近所に住んでいた一人暮らしの老婆のことだ。

名前は『ハルばっぱ』。正しくは『ハル』という名前のお婆さん。

ハルばっぱは、細く長い古い日本家屋に住んでいた。いつも僕は裏から遊びに行っていたから、記憶にあるのは広い裏庭と、その先の薄暗い納屋。古い農具や野菜が吊るされた納屋を通って、ようやく玄関にたどり着く。

玄関を開けるとすぐに居間があった。僕は二段上がって、こたつに潜り込む。居間には干支の貯金箱がいくつも乗ったブラウン管テレビと、黒いジーコジーコ電話が置いてあった。

そして丸顔のシャム猫が、一匹。

小学校入学前。まだ昭和が色濃く残る、平成の最初の方の話だ。

おそらくカレンダー上の休日。一次産業従事者の両親はこの季節は忙しい。記憶にあるのは、春の終わりの日差しが眩しい庭や、生い茂る土手の草花を眺めて歩いたこと。

そんないつもの休日。散歩をしていたら、ハルばっぱが庭の手入れをしていた。

隣にしゃがんで草むしりをしていると、目に入ったのは小さなピンクと青の花。

「これなんていうの?」

「勿忘草だよ。気に入ったなら一株持っていく?」

そう言って持たされた青い小さな花を、ハルばっぱの庭と同じような場所に母と植えた。

小学校に上がれば、あまり遊びに行くことはなくなり、登下校で顔を合わせればあいさつする程度。たまに穫れ過ぎた魚をボールに入れて、お裾分けのお使いに行くこともあったが、それだって、高学年になる頃にはやらなくなった。

一緒に暮らす認知症の実の祖母より懐いていたはずなのに、不義理なものだ。

とはいえ、子供の成長なんてそんなものだろう。次々に新しい扉を開けて、飛び出していく。

時間の流れは常に一方通行で、今あるものほど見えにくいものはない。

そして、震災を経た僕の故郷に、あの頃の面影はほとんどなくなった。

案外繊細な勿忘草を空き地で見かけることはなく、代わりに目につくのは良く似た小さな水色の花。

胡瓜草と言うらしい。最近名前を知ったのだが、それまでは勿忘草の一種なのだと思っていた。

花言葉は『真実の愛』『愛しい人へ』。『真実の愛』は勿忘草に似ていることにちなんで与えられたとかなんとか。

その花は、子供の頃に出会った勿忘草ではない。

それでも僕は、野に咲く胡瓜草の面影に、毎年一つ思い出す。

春の名前を持った、忘れられない優しさを。

@8kaku
八角です。兼業イラストレーターやってます。 普段はMisskey.Designに居ます misskey.design/@8kaku