心臓のあたりのざわつきを、心の場所と定義して

八角
·

今日は心がダメな日だ。

仕事は順調だったのだが、車の右前輪がパンクした。不運というか、どちらかといえば僕の整備管理が甘かった。風吹きすさぶ寒い雨の中で修理をしてくれた整備工さんに感謝だ。

コミュニケーションは快活に取れた。あまり駐車場が広くない店だったので、先に事務所に顔を出して事情説明をして許可を取ったし、スペアタイヤとの交換もあっさりと終わり、帰宅できた。明日馴染のガソスタでスタッドレスに変えれば終了だ。時期的にも普段より少し早いくらいで、降ってから慌てて変えるよりずっとマシだろう。

帰宅して、砂糖とミルクを大量に入れたミルクティーを飲んで、一息ついて、そっからはもうエネルギー切れだ。朝も昼もまともな食事を取っていなかったので、栄養補給のための食事を接種するためにどうにか人の形態を維持して頑張った。色々ミスはしたが、食べれるものはできたので良しとしよう。

ただその間、そして今も、心臓のあたりの空洞がザワザワと不快に騒いでいる。

さみしい、つらい、くるしい、つかれた、いやだ、いやだ、いやだ、たすけて

古傷が腐らせて欠けてできた空洞に、どこから生まれたのかもわからないマイナスの感情が渦巻く。

人の心というものが胸のあたりにあると、古今東西人は定義してきた。おそらくは緊張や不安などに起因するホルモン変化で心臓の働きだとかに影響が出るのだろう。詳しくは知らないが。

ただもし、人の心が本当にそこにあるのなら、この理性で理解できない不安や寂寥感は誰が生み出しているのだろうか。

まるで封印する力が弱くなった隙に暴れ出す呪いのような、この心の冷え具合は何なのだろうか。

なにがどうしてさみしいのか不安なのか、自分自身にすらわからないのに、本当にこれは僕の心なんだろうか。

それとも病んだときに切り離した理性と感情が、いまだに離れたままなのか。

理性が空回りしてよくわからない。今日は心がダメな日だ。改行も多い。泣きたくなってきた。スライムに混ざったザリザリの砂鉄が、狂った磁気に反応するみたいに、グシャグシャしている。

こういう日は暑いくらい暖かくして、さっさと寝てしまうのが良いのだろうな。猫を布団に引っ張り込んで、5分だけ我慢してもらおうか。チュールで釣れば付き合ってくれるだろう。

ああでもボイチェンにプラグインを入れる方法を調べたかったんだ。描きたい絵もある。少しだけ作業をしようかな。新しく覚えた一人遊びをしながら、やるのもいいな。温かいココアも用意して、もこもこになって作業しよう。今日はそういう日にしよう。

@8kaku
八角です。兼業イラストレーターやってます。 普段はMisskey.Designに居ます misskey.design/@8kaku