交易都市アステルリーズの最も高い位置に聳え立っているのは、この星に住む人々が信仰するバファリア教団の神殿だ。青白く輝く尖塔は日の光が立ち上る東側に鎮座しており、夜明け共に立ち昇る太陽の光に照らされて毎朝キラキラとその身を輝かせている。
それを見た街の人は今日もいい一日になるだろう……果たしてそう思うのかは謎ではあるが、この町はバファリア教団と共に在る。──そういう位置づけとして相応しいと言わんばかりに、神殿は町中のあらゆるところで目につく存在であった。
しかし、その神殿の最奥部には、バファリア遺産の一つである天恵の聖堂という異空間へと繋がっている……という事実を町民の殆どは知る由もない。そこに鎮座している──状況的には“いた”の方が相応しい──アバリティアシェル、と呼ぶべきか、御遣いと呼ぶべき形容しがたき何かを結界で抑えていた事も……。
この話はその“アバリティアシェル、または御遣い”がユーゴによって何処かへと連れ去られる現在より、ちょっと前の話──
1.
旅の記憶が甦る──
「お待ちしてました」
アステルリーズ、バファリア神殿の鉄製の扉を開けた先は縦長いホール上の広場となっている。天井は尖塔がある方へ進むたびに高くなっており、人が足音を立てるたびにコツ、コツと音が反響していた。
扉の先、ホールの中ほどの位置には二等級以上の神官達が立ち、神殿に赴く人々に説法を聞かせている。その神官たちの間、聖堂の中心で突っ立っていた人物は、扉を開けてやってきた者達に声をかけてきたのだった。黒髪で、黒い神官服に身を包んではいるものの、その神官服は周りに説法をする神官と違って、肩や襟に刺繡が施された凝った造りになっている。それだけで、彼が他の神官と身分が違うというのが何となく見て取れた。
「リュゲリオ、だったかの。ワシらを呼んだのはあんたと聞いておるが」
歩きながら──さすがに神殿内で走るのは気が引ける──近づいてくる一人の小柄な少女が黒髪の男に声をかけた。リュゲリオと呼ばれた神官はこくりと頷き、小柄な少女より数歩遅れて歩いてくる男に目を向ける。
「お待ちしておりました。このような依頼、本来ならばしない事なのですが、今回はどうしてもあなた様方に頼んだ方が良いと、アインレイン様からもたっての願いがありまして──」
言いながらリュゲリオと呼ばれた男は恭しく頭を下げる。彼の近くまで歩いてきた少女と男は、気にしないといった様子で首を横に振った。
「アインレインがそう我々を指名してくれたのじゃからな、神殿に恩を売っておけば後々いいことが──じゃなくて、ワシと下僕じゃなければ受けられない依頼、って事じゃろう? 遠慮は無用じゃ」
下僕、と口にした際に少女は傍らに立つ男を親指で示してやっていた。その態度に男は若干、少女を辟易といった様子の眼差しを向ける。そんな二人のやり取りを見て、リュゲリオは畏まった言い方で、
「ありがとうございます。マクレディ様、フェステ様。──では早速ですが、依頼内容について私から伝えさせて頂きます。アインレイン様は今も聖堂で結界を張られている故、姿が見えない事をお許し下さい」
会釈するように頭を下げ、依頼内容について話した。その依頼内容は二人の予想を遥かに超えた──予想外、という意味で──ものだった。
「……という訳で、明日はワシと下僕はすぐそこにある建物で開かれてる“学校”での“課外授業”をすることになったのじゃ。……というかそんなところで定期的に学校、なんてもんが開かれてることなぞ知らんかったな、ワシも」
リュゲリオから話を聞いた日の夜、コイン亭のいつもの席で夕飯にありついているフェステが、その日あった事をいつものようにメイドとして給仕の仕事をしているエーリンゼにこぼしていた。
今日の夕餉の献立は根野菜やサラムザートから仕入れた香料、スパイスをふんだんに盛り込んだカレーライス。コイン亭の人気メニューの一つだった。元々はコイン亭の亭主だった、現バーンハルト皇帝がアレンジした一品となっており、そのレシピはコイン亭従業員として今カウンターに突っ立っているジェイクや厨房のコックなどにしっかりと引き継がれている。
そんなコイン亭で社会勉強として従業員の一員となったエーリンゼは、コイン亭のちょっとした看板娘となっているらしく、常連客の一部でエーリンゼファンクラブが発足したりとかエーリンゼに合うために彼女の働く時間をチェックしており、その時間に訪れる常連客も増えたとか何とか。
そんな普段変わらない日常の夜だった。
「まぁ! 未来を担う子供たちのために、マクレディさんとフェステさんが人肌脱いだって事ですわね! 私も見学についていっても構いませんでしょうか? その課外授業に参加してみたいですわ」
フェステの話を聞いたエーリンゼの目が輝くのと正反対に、フェステの顔は若干げんなりしていた。血沸き肉躍る冒険でも期待していたのかもしれない。けど教団からの依頼、という事を鑑みれば本来ならば冒険なんぞと遠い依頼なのは目に見えていただろうに、と彼女が愚痴をこぼしながらカレーライスを頬張る姿を一瞥しながら、
「俺は構わないけど、フェステもいいだろう? 危ない仕事じゃないし」
カレーライスを口に運びながらマクレディはそう答えた。カレーライスの皿以外、テーブルには珍しく酒の入ったグラスが置かれていない。
マクレディは翌日仕事がある場合、前日の夜に酒は嗜まないのが彼の決まりだった。一杯口にするとすぐ次へ次へ、と飲んでしまう悪い癖が手伝ってしまい翌日の仕事に響いてしまう事を懸念しての事だった。
その為今夜のコイン亭は泥酔しては辺りの客を巻き込んで愚痴をこぼすモンスターが鳴りを潜めているのもあって、常連客含め周りの客からは穏やかな談笑が背後から聞こえてくるのであった。
「……構わんが、報酬は二人分しか貰えないから、エーリンゼの分はないぞ」
念のためか釘をさすように言うフェステだったが、金に困って社会勉強という名のバイトをしている訳じゃないバファリア神族の彼女は、そんなもの要りませんわ、とにこやかに笑みを浮かべた。
「しかし、お前たちもバファリア教団から直々に依頼が来るようになったんだなぁ……成長が見れて俺は嬉しいぜ。マクレディ。……で、どういった依頼を受けたんだ?」
カウンターに身を乗り出すようにしてジェイクが言った。厨房とカウンターを行ったり来たりしている彼にはちゃんと話をしていなかったな、とマクレディが腰に括りつけているポーチから依頼の紙を取り出す。
「そういえば……ジェイクは知ってたか? このコイン亭から出て西にすぐ行ったところにある建物で、バファリア教が隔月で学校を開いているって事を?」
マクレディの問いかけにジェイクは考える仕草をしたのち、「……聞いたことはあるな。元々この町は商人が定期的に交易をしながら立ち寄る場所だから、商人や町人の子供向けに開催してる学校がある、って話だ」
その通り。交易都市アステルリーズには子供向けに作られた施設──即ち、「学校」がない。けど子供の数は一定数、見かけるし、子供同士で町中を遊び駆けまわる姿も見受けられる。彼らの多くは町に住む人の子供か、交易を行き交う隊商の一員として連れられてくる場合がほとんどだ。
バファリア教団はアステルリーズの居住地区の一角の住居を借りて隔月で学校を開いていた。子供たちの中には優秀な子が居れば、家族と話し合った後にバファリア教団の少年聖歌隊に抜擢されたりするケースもあったりするらしい。バーンハルト教区ではしっかりと毎日通える学校があるらしいが、アステルリーズは元々が交易のために作られた町故に、長年学校と呼べる施設はなかった。それではいけないとバファリア教団がアステルリーズの管理組合や開拓局に話を通したうえで定期的に学校を開き、子供たちに教育を施している。
そして今回、その学校で課外活動が開かれるというのだ。課外活動の内容は、マクレディとフェステが呼ばれるといった理由から察するものだった──開拓局の冒険者と言うのがどういうものなのか、彼らはどういった仕事を経て生計を立てているのか──といった内容。
課外活動と呼ぶだけあって、冒険者と言うのは普段、どういった場所に行くのか、等という名目つきでもあった。アステルリーズからほど近くにある遺跡──マクレディが初めてこの世界に降り立った際、その場所でフェステと出会ったあの遺跡である──に赴き、探索の真似事をするといった行為も盛り込まれている。子供たちにとっては普段、開拓局の冒険者がどういった仕事をしているか目にする絶好の機会だろう。開拓局に依頼を出すことはあっても、どういった仕事ぶりをしているかまでは殆ど実情を知らされていないというのもあるからだ。
「……って事で、俺とフェステはこういう課外活動をすることになってるんだけど、あの遺跡は一般人が出入りしていいものなのか? ジェイク?」
一通り依頼内容を伝えたのち、当然の疑問を口にするマクレディだったが、ジェイクはその点は安心しろ、と言わんばかりに親指を立てて突き出す仕草を見せた。
「Exactly! マクレディ、あんたが疑うのも無理はないな。でもあの遺跡は冒険者たちが隅々まで探索、お前と亜人のお嬢ちゃんが踏破した後でもしっかりルート探索、内部調査を開拓局が行った後、解放されている安全な遺跡の一つとなってるんだ。今となっちゃ低ランク冒険者たちの探索とはかくあるべきか、みたいな試験や活動によって開かれている場所でもあるんだ。もうゴブリン達が棲みついてる怪しい遺跡じゃない、ってのは確かだぜ」
そうだったのか。と二人は驚く。二人が他の遺跡や地域を巡っている間にあの場所が解放されているとは。……とはいえ、何度も訪れたい場所ではなかったのはマクレディもフェステも同じ思いだった。元より、あの時からマクレディの記憶は断片的に何かを思いだすきっかけはあれど、殆どと言っていいほど戻っていなかったのだから。
「では、明日赴く場所は安全、という事ですわね。それはよかったですわ。課外授業ですからお弁当でも用意して行きますわね」
楽しそうにエーリンゼが呟く。お、おう……と返事に困るフェステを横目に、マクレディは胸中穏やかではなかった。
あの場所で目覚めた時、聞こえた声──あれから聞こえていない。俺が何かを……そう誰かが言ってた気がするのだが、今のところ自分が何かをしたのか、また何をしていいのかすら分かってないまま、開拓局の冒険者となって仕事に明け暮れる日々を過ごしている。
目覚めて一度、フェステと共にあの場所に戻り辺りを探索したが、ゴブリンのイマジンシード以外、何も見つけられなかった。それ以来あの場所に近づいていない。……内心、行くのを拒んでる自分がいる。安全な場所となった、とジェイクが先に言ってたが、安全な場所になったとしても、あの場所には行きたくなかった。
何も起きなければいいが……マクレディの不安を他所に、その夜は更けていった。