路上に出たときにスピーチに使おうと思って書き始めたものをすこし編集してみた。まとまってないし、オチもない。全部喋ろうと思ったら15分くらい必要。
これを読んでいるあなたは、自民党が2012年に出した憲法改正草案、そして2018年に発表し公約にしている憲法改正イメージの内容を見たことがありますか。
そもそも憲法と法律の違いとはなんでしょうか。 簡単に言えば、法律は、私たち国民が守るべきルールです。そして、憲法は国、つまり私たち主権者の声を聞いて国を運営する政治家たちが守るべきルールです。
国民である私たちは普段、法律を守りながら生活しています。 例えば、道路交通法があるから車やバイクはきちんと速度を守って運転しますよね。速度違反をすれば切符を切られたり、重大な法律違反をすれば裁判になったりします。このように、法律は私たち一人ひとりの行動を規制するためのルールです。
では、憲法にはどのような役割があるのでしょうか。 憲法は、強大な権力を持つ政治家などが、独裁的な権力乱用をしないように定められているルールです。
なぜ国家権力者を縛る日本国憲法が、国民にとって重要なのでしょうか。 それは、国家権力者が本来の仕事である我々主権者のための働きを放棄し、自分たち権力者の私利私欲で暴走することを止めるためのブレーキだからです。
国民ひとりひとりの権利や自由・尊厳がおびやかされないように暴走を食い止めるためのルールが憲法なのです。
普段の生活で、法律や憲法を意識しながら過ごしてはしていないですよね。仕事をしていても、労働基準法をずっと意識しながら働いている人は少ないと思います。 ルールというのは、何も問題が起きていないときではなく、困ったとき、不安なときにこそ、その真価が発揮されるものだからです。
国家権力が「特別な状況だ」「例外的な対応が必要だ」と言い始めたとき、その判断を検証し、間違っている時にそれを食い止める手段はきちんと残されているか、しっかり確認する必要があります。
自民党の憲法改正草案を見ると、第99条の適用先が国家権力ではなく国民と書き換えられています。 繰り返しになりますが、国民が守るべきルールは法律、国家権力が守るべきルールが憲法です。しかし、自民党は「国民」が憲法を尊重すべきだと書き換えようとしています。
独裁的な権力乱用が起きないよう国家権力者を縛るためのルールであるはずの憲法を、国家権力者自身が国民を縛るためのルールへと変えようとしている。私は、そのような憲法改正草案のあり方をとても危険だと感じている。
憲法改正を考える上で、私が大事だと考えていること。
一つ目は、現行の平和憲法の内容が維持されることです。 今の憲法には、「戦争をしない」「武力で問題を解決しない」という大原則があります。この原則があるからこそ、日本は80年のあいだ戦争によって人の命を奪う国にならずにきました。憲法改正を考えるのであれば、この大原則がより確かな形で守られる必要があると私は考えています。
二つ目は、憲法改正によって誰が得をして、誰のどんなことが脅かされるのかをきちんと整理することです。 憲法改正は「なんとなく良さそう」で進めていい話ではありません。自民党が進めようとしている憲法改正によって、一体誰が得をするのでしょうか。私たち国民でしょうか。それとも、国家権力を持つ側でしょうか。私は、国民の自由や生活が脅かされる可能性がある憲法改正には、賛成できません。
日本はたくさん戦争をしてきました。他国を侵略してきた数は決してすくなくはありません。そして、そういった歴史を繰り返さないために、日本国憲法の前文には「再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し」とあります。 しかし自民党憲法改正草案はその部分を削除しようとしています。
なぜ戦争をくりかえさないと決意を述べている部分をなくそうとするのでしょうか?憲法前文で戦争をくりかえさない決意を述べていては、なにか都合の悪いことでもあるのでしょうか?自民党は、日本が再び戦争をしてもよいと考えているということでしょうか。
憲法前文の戦争をしない決意を削除しようとしていることとセットで見ていきたいのが、憲法9条の内容です。 「憲法に自衛隊の明記を」という考えは、皆さんも耳にしたことがあるのではないでしょうか。
自衛隊は災害時に私たちのために頑張ってくれている。その通りです。しかし、だから憲法に明記するのは当たり前だ、と、内容をよく確認しないで肯定することは非常に危険です。なぜならば、自民党は9条に対して、自衛隊の明記のほかに、交戦権を認めないという文言を削除しようとしたりしているからです。そして、武力行使の放棄の文言から永久という大切な言葉も消そうとしています。
交戦権をみとめず武力行使を永久に放棄するという文言を削除するということは、戦争をしたい人が暴走しようとしたときに、それを食い止めるルールが失われるということです。再び戦争ができる国に進めるようになる余地をつくるということです。
平和のために政治家たちがやるべきことは平和的に諸外国と関係を構築し維持することであって、「戦争仕掛けてくるかもしれないから備えておくぞ!!」と態度や言葉で示すことではありません。
例えば近所に住んでいる人が「あの家の人は殴ってくるかもしれないし危険だからちょっと金属バットとか用意しておかなきゃ...」と準備していると知ったらどういう気持ちになりますか?
ご近所づきあいではおおごとにならなかったとしても、国と国との関係というのは非常に難しく、繊細なものです。軽率に、過剰に軍事力を拡大することは関係を悪化させる行動になり得ると私は考えています。
日本から戦争をしかけるわけないじゃないか、と考える人もいるでしょう。しかし、日本の防衛費予算はどんどん膨らみ、投じている予算額は世界的に見てもかなり上位です。それでも他国と戦争をせずに済んできたのは、平和憲法の存在があるからです。
交戦権を認めない。武力行使を永久に放棄する。こういった宣言を憲法に明記することで、日本という国がどういうつもりでいるのかを、ほかの国々に対しても示してきたわけです。
その宣言を取り下げ、戦争をできる余地を作ってしまうとどうでしょうか。日本側としては戦争をしかけられた時の備えのつもりでも、戦争をしたい国からすれば、日本が戦争を煽ってきたからと言い訳ができる状況を作ってしまうことになります。
憲法9条を含む今の日本国憲法こそが、ほかの国に「日本が戦争を煽ってきたんだ!」と言い訳をされないための抑止力にもなっているのです。
それでも攻めてくる国はあるはずだ、だから備えておく必要があるんだ、と考える人もいるかもしれません。備えるとは、つまり戦争になったときに日本が負けないように武器をたくさん持ったり戦う人を増やしたりすることですよね。
想像してみてください。 他国が10の力を持っているから、日本は12にする。それを見て他国は15に増やす。戦争に負けないよう日本は20に増やす。ずっと、相手より強く、たくさんをお互いに繰り返し続けることになりますね。
備えを増やすためには何が必要でしょうか。 まずはお金。そして、人。武器などをつくるための資源。これらは無限に出てくるものでしょうか? ただでさえ節約節約で苦しい日々が、もっと苦しくなります。 それは、あなたや、あなたの家族が仕事を頑張っていないからではありません。
戦争は、戦争が始まってから突然生活が変わるわけではないのです。現に、日本はどんどん防衛費が膨らんでいき、生活はどんどん苦しくなっていっている。一体どこからそんなお金が賄われているのでしょうか。
前まではあたりまえにしていたことをあきらめる回数が増えていっているのは、私たち国民の頑張りが足りていないからではないのです。戦争に備える社会は、常に余裕を削られます。
さて、まとまっていないながらに載せてみました。
おなかすきましたね。眠いですね。色々かんがえたり挑戦したりしてみながら、できることをやっていこう。