13年前のことをふと思い返していた。
2011年の3月はどうしても大きな災害の記憶と結びつくが、わたしにとっては父が死んだ年でもある。何度も手術を繰り返して、最後には父自身が「手術はもういい」と医師に伝えた、その数年後のことだった。
葬儀を終えたあと、わたしも母もへとへとだった。悲しい気持ちはなく、無事に看取ることができた、やるべきことはやったのだという安堵だけがあった。父とわたしにはどこかよそよそしいところがあり、腹を割って話をした記憶がない。育ててくれたことには感謝しているが、わたしの中で父の存在は、ただ父親というだけの人だった。火葬場から家に帰ったあと、イヤフォンをしてぼんやりQUEENの '39 を聴きながら、そういえば父さんは39年生まれだったな、と考えていたのを覚えている。
それでも、どこか希薄だった父の存在がそのままかき消えていったかといえば、そうではなかった。気持ちの上ではともかくとして、わたしが本当に、意識のより深い部分で父の不在を受け入れるのには、それからしばしの時間を要した。
居間で過ごしているとき、自室で横になっているとき、もういるはずもない父が廊下を軋ませてやってくるような錯覚に何度も囚われた。心霊現象といいたいのではない。父は夜中に用を足すつもりでトイレに向かい、転んで起き上がれなくなることがよくあった。わたしと母はどれほどぐっすり眠っていたってあの廊下の軋みで目を覚ましたものだ。一度身についた感覚は、そうそう消えない。
あるいは生前の父が、居間の入口に立って、そこにいるわたしと母の横顔や背中をじっと見つめていることもあった。父は脳梗塞も経験したせいで、すぐに言葉が出ない。父がまだすぐそこに立ち、わたしに何かを伝えるべくこちらを見ているような気がしたのは二度や三度ではない。その視線を感じなくなったのは、父の死から1年以上も経つころだった。
父はもういないのだ。その区切りは父が息を引き取ったときに、そして火葬場でついていたはずだったが、改めて振り返ってみると、わたしのより奥深い部分は父の死を少しずつ理解して、ここにいたはずの人が現実にはもういないということをゆっくりと受け入れていったような気がしている。それは、実際の関係はどうあれ、わたしと父が親子として過ごした年月が確かに存在したという証なのだと思う。