完璧主義と古書店

あい
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私の良くない性格/性質は数多にあるが、その一つが「完璧主義」(=必要以上に高い目標を設定して完璧を目指して努力する性質)である点だと思う。

完璧主義について補足。この性質は現実が見えていない理想主義的な性質だと思う。理想が高いため 失敗することを過度に恐れ、他人の評価に左右されやすく、自分を納得させられない限り行動に移せないため物事を先延ばしにしやすく、全ての物事を完璧に仕上げたいため優先順位をつけて物事をこなす事もできず、人に頼ることもできず、完璧でなければ失敗という両極端なゼロイチ思考に陥りがちであり、少しでも失敗したら投げ出しがちで、過去の失敗をいつまでも気に病む。(そのくせ無駄に自己愛が強い...。)

例えば、『本を読む』という行為ひとつとっても完璧主義は邪魔をする。『最初から最後まで読みきらなければならない』という強迫観念がかかるため 読書のハードルが非常に高くなり、読書体験を自分から低下させ、新しい本との出会いの幅も狭めている。(最後まで読み切れる気がしない本を買えない、など)

ただ、ここ最近 読書家の方々とお話する機会があり、読み方に対する新しい知見を得た。図書館や古書店などを活用しながら本を大量に読んでいる人は 別に全て通読しているわけではなく、気になったところを拾い読みしているだけだという。広く浅く知り、その中で自分が気になった所を深掘りすればよいのだなと思った。読み方は一つではない。

一つの本がどれだけ深く広範な知を提供しようと、結局それは一つの側面からの観察でしかない。物事の本質というのは多角的な視点(=本)からの観察でヴェールを脱ぐものだと思う。乱読のメリットは純粋なインプット量を増やす事だけに留まらず、多様な視座で物事を見れる様になることだとも考えた。

作家の又吉直樹さんはあるYouTube動画で 新社会人になる人たちへ向けて、『ブックオフやTSUTAYAにはお世話になろう』と語っていた。又吉さんはお金の無い若い頃 古書店で100円で5冊のように安売りされている本を乱読し、本の面白さを知ったことで、30代以降になって本を沢山新刊で買うようになったという。

古書店は作家さんに印税が入らないのでこれまで私は申し訳なく 敬遠していたが、作家さん自身の口からこういう言葉が聞けたことで心がすっと軽くなった。法に反しなければ、生きるということは、もっと自由にやってもいい。私は太平洋戦争後に闇市の米を拒否して配給食糧のみを食べ続けたことで栄養失調で餓死した山口良忠判事を思い出した。正義を貫いて死んだ姿は裁判官の給与の引き上げの要因となるなど社会に大きな影響を与えた。だが、私がそれを真似してお金がないため新刊を買えなかったって誰も褒めてくれず、本も読めず無知蒙昧のまま歳を重ねて死ぬだけなのだ。それなら私は"正しく"なかったって生と知に貪欲になりたい。

私は完璧主義を変えたい。変な強迫観念に囚われず、安く買った本を気になるところだけつまみ食いしたっていい。自分の理想がうまくいかなくても、汚れても、失敗しても、それは私の存在を否定することにはならない。広く浅く、好きなことには深く世界を知りたい。それがひとつの”よく生きる”ということのように感じられる。

ゲーテが最後に遺した言葉のように、昏い部屋で閉ざされた窓を開けて、もっと光に触れて。

@a1
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