新陳代謝

あい
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親戚宅で新しい子供が生まれた。四人目の子供。無事に生まれてよかった。これで親戚宅には同じ屋根の下に11人が暮らしていることになる。この時代になんて大所帯だろう。

一番下が新しく産声を上げたが、一番上の90歳近い叔母は先日から認知症のようになっている。今何年生か、どこに就職するのか、どこに住むのか、毎日顔を合わせるたびに聞かれる。私が子供の時から当たり前のようにいる叔母がそのようになってしまうことが、最初はなによりつらかった。

Gigazineの「老化」は生命の進化において重要な役割を持っている可能性があるとの研究結果 の記事を読んだ。その研究の結論として、環境が変化する中で老化や死がその個体にとって有利になるのは、より優れた遺伝子組成を持つ適応力の高い子孫と競合してしまい、その生存や繁殖を妨げる危険性を減らせるかららしい。つまり、老化や死とは、「より優れた遺伝子を持つ新しい世代のためにスペースを譲る」ということだ。

身の回りで世代の新陳代謝が進んでいる。人が生まれ、人が老いる。それは自然なことで、必要なことだ。そうは分かっていても、やはり落ち着かない気持ちがある。スペースを譲られた側としてその重責は重い。誰かにスペースを開けてもらってまでこんな私が生きる意味とは何なのだろう。引き継がれたバトンの重さと私の軽薄さ。ついそんな事を考えてしまう。立派なおとなになんてなれない。なれなくても、しっかり生きなければならないと思う。それは社会のつらい重荷に無理して耐えるということではなくて、せっかく生きているのだから 前の世代に感謝しながらそれを謳歌したい、という意味で。

@a1
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