監督 クリント・イーストウッド
Amazonプライムで字幕版を視聴。116分。
あらすじ:フォードの工場を引退して妻にも先立たれた孤独な老人ウォルト。自身の家がある住宅街に次第に外国人が増えていくことを、彼は快く思わなかった。そんなある日、自宅の庭でモン族の少年タオを不良グループから助けたことから、ウォルトは徐々に心を開いていく。
「かっこいいアメ車が観たいならこの映画を観るといい」
ずいぶん昔にそう書かれていた小説を読んだことがあり、気になっていたので鑑賞することに。これは鑑賞前の印象だけれども、かっこいいアメ車の映画ということなので激しいカーチェイスモノか……? とぼんやり想像していた。実際の本編は全然違った。ただ、かっこいいアメ車を観ることができたのは本当だった。何せこんなに痺れるほどイカしたアメ車もない。鑑賞後のわたしはすっかりグラン・トリノのミニチュアが欲しくなっている。
個人的な話になるけれども、わたしはマニュアルの免許は取得しているものの車もろくに運転できなければ、お酒も強くない。タバコも全く吸わない。その上、序盤のウォルトの立ち振る舞いや差別的な言動は演技と分かっていても頭に小石を投げつけられたような気分になるし(にしたってイエローって!)、彼の息子や孫と同等に気むつかしい老人だと腹を立てたくなる。いっとうきつく、にらめつけたくなる。それなのに、愛犬のラブラドールレトリーバーと共に磨き上げられたグラントリノを視界に据えてパブスト・ブルーリボンを飲む彼には否応なく惹かれた。その時点で悔しいくらいにウォルトは魅力的だった。お酒も飲めないし車も全然運転できないけど、将来ピカピカに磨き上げた愛車をアテにビールが飲めたら、そんなのってどれだけ……! と心の底から憧れてしまった。悔しいくらいに見惚れた。格好良すぎる。映画はこういうところがいい。銃口を突きつけられるみたいに、製作者の狙いを画作りで魅せられる瞬間が最高に気持ちいいのだ。今回のグラン・トリノのように、キマる絵面とキャラクター性を、熟知しすぎている製作者に当たると声をあげたくなる。ただ観ているだけの一般人に見せつけてくれるにはイカしすぎている。この映画は、監督・プロデューサー兼主演をすべてクリント・イーストウッドが務めているらしいので、彼のセンスに脱帽してしまった。無敵の絵面と組み合わせだ。そして自分が主演としてウォルトを演じているのだから、その理想具合と言ったら素晴らしい。
勿論、隣人であるタオやスーとの関係が段々と深まってゆくストーリーもなかなかに好ましかった。こころを許してゆくウォルトと、段々と冗談を言い合える関係になる彼らの笑みの微笑ましさ! けれど、わたしが特筆して記録しておきたいのはウォルトの命の使い方だった。否、終わらせ方であった。けして最後の展開が読めなかったわけじゃない。吐血する回数が増え、病院での検査後にあまり関係が良くない長男に電話をかけてしまうくらいに病が進行しており、自分の命が短いことを予期していた彼の起こす行動は限られている。それでも、尚思う。「おまえの人生はこれからだ。俺は違う。俺が決着をつける」閉じ込めたタオにそう言ってあのように自らの命を使った罠にひとしい賭けに出られたのは戦争経験者のウォルトであるからこそできた、ある種嘆かわしい復讐方法だった。ただ病に侵されてゆくだけならいっそ、と髭を剃りスーツを仕立て人生の過ちを懺悔したウォルトの行動が思い出される。丁寧に手順を踏み、死ぬ姿と場所を選んで立ち向かってゆく姿はさながら戦士そのものだった。果たしてあれが最善だったかはわからない。もっと良い方法があったのでは、などと言えるのはわたしが画面の向こうにいるただの観客であるからだ。
しかし、過程はどうあれウォルトの望んだ結果はきっと得られた。スーには平穏の帷がおり、陽光をその身に纏うグラン・トリノは海岸をゆき、タオの胸元にはウォルトが託した勲章がある。それが全てだ。わたしもいつかグラン・トリノに乗りたい。そしてあの完璧なフォルムに胸を射抜かれながら車の後部にカマっぽいスポイラーがつけられる様を想像して、慣れないビールを飲み、犬の背を撫でるのだ。「Oh, I am at peace.」と言って。