仕事場から帰って自転車を漕いでいるとき、日が暮れる空を見ながら春の空だなあと思っている。ぼうと眺めて、小説で書くとしたらどうやって表現しようかなあと考える。別に、そのときに思い付かなくていい、小説を書くときに景色を思い出せるようにしておけば、いつかちょうどいい言葉が見つかるので、わたしはなるべく見ておきたい景色を眺めて記憶しようとすることがままある。
通勤時はずっと爆音でTOMBOYを聴いてきた。気持ちいい曲なので……。
ここ数週間同じことしか書いていないのだが、本当にずっと小説を書いている。今はスパコミの原稿だ。GW休みが近づいている実感がないまま、あと2週間とすこししたらスパコミなのか……と震えている。ついこの前3月のイベントが終わったところなのに、もう五月で間もなくGW、スパコミも文学フリマも近づいている。それぞれの新刊の表紙がデザイナーさんから届いて、中身を頑張らないとな……と思っているところだ。新刊は絶対に落としたくないので、死ぬ気で作業している。
地方に居て離れていた同期と研修の関係で久しぶりに会い、食事をした。新入社員だったころはみんなまだまだ学生だったのに、すっかり社会人だ。中華料理を食べながら仕事の話をして、辞めた同期の話や最近取り組んでいる仕事についてのんびりと語らいながら11時前くらいまで飲んでいた。またいつかね、と言って別れるたびに、会社を辞めたら二度と会わなくなるかもしれないんだし同期って切れやすい縁だよな、とさみしくなる。二度と、とか、永遠、とか、そういう縁の切れ目に立ち会っているような気分で、帰り道の駅のエスカレーターに乗った。どんな関係性の相手であっても、これが最後でもう二度はないのかもしれないと思うたび、出会いとは不思議なものだと実感する。約束がないと会えない人が関係の大半を占める人生で、わたしはどれだけ約束を取り付け続けていられるだろうか、と考える。人生って数えきれないくらいの約束の繰り返しで出来あがっているんじゃないか、とすら思う。
スプラトゥーンのフェスが始まった。今回は「小熊か子ウサギかひよこか」の三択で、わたしは迷わず子ウサギを選んだ。理由は単純で、実家に居た頃にうさぎを飼っていたことがあるからだ。あのかわいさを十全に知っている。あんなにかわいい生き物もいない。
(※以下、うさぎの写真が大量に出ます)
うちのうさぎはネザーランドドワーフ(ピーターラビットと同じ、最小のうさぎ)のおんなの子で、まめという名前だった。
子ウサギだったころから家に居たのだけれど、まめという名前は別におまめさんみたいにちいちゃいので、とかいった理由で名付けたわけではなく、語感がかわいいからという理由でわたしがつけた。まめ、今でもかわいい名前だと思う。口に出して何度だって言いたい。動物病院で、うちの苗字付で呼ばれたときはいつもそのかわいさにふふ、となっていたくらいだ。(例:田中まめちゃーん、などと呼ばれるのだ)
まめは我が家のツンデレ女王さまだった。ケージから出してやって小屋の掃除をしているとき、撫でろ……と近づいてくるくせに、掃除を終えて撫でてやろうとしたらぷいとそっぽを向いてどこかに行くのだ。
(父親にお尻を拭かれている瞬間)
爪切りやブラッシングであっても抱っこは絶対嫌がるし、撫でやがれと言わんばかりに頭をてのひらに押し付けてくる、病院へ行く用のカバンに入れたら一生不満そうな顔でにらんでくる、気が強い甘えん坊だった。わたしの部活が忙しくなった高校時代に父親が面倒を見ていたからか、父親によく懐いていた。父親も、まめをかわいがっていた。
(尻隠して頭隠さず)
まめはわたしが上京した直後に亡くなった。年齢的にはもう背中の曲がったおばあちゃんだった。
(冬の写真。床暖房があたたかくて張り付いている)
会社の研修を終えたわたしの携帯に、親からの連絡が入っていた。死んでしまう前から不調が見られていたことはわたしも知っていた。病院で診察してもらっていたものの、もうおばあちゃんで手術するにも体力が厳しい、見守ってあげていてください、と言われていたのだ。苦しそうで可哀想だった、という親の言葉に、そっか、としか返せなかった。
でも、共働きの親が家にいる時間に倒れたと聞いて、ああ、母親と父親が帰ってくるまでちゃんと待ってあげたんだなあ、と思った。ツンデレで、構われたくないときは部屋の隅にいたり箪笥の下にもぐっていたけど、わたしたち家族のにおいがするとケージの中から見上げてくれる、そういうところがかわいい子だった。
今でだってまめの背の感触やぷうぷうと鳴く声を、ひたいのやわらかさを思い出せるのに、実家に帰ってもまめはおらず、ケージは片付けられている。死んでしまった瞬間を見ていないからこそ、わたしの中でまめの死への実感がずっと湧かないままでいる。
今でもひょっこりわたしの部屋のクローゼットからこんなふうに顔を出して、あーまたそこでうんちなんかして、ころころのフンを拾ってやらなきゃ、と若干めんどうくさく思いながらちりとりを持って行かなきゃいけないんじゃないか、とたまにクローゼットを覗く。まめが家に来たから、うちにはうさぎの雑貨が増えた。まめが死んでしまってからも、すこしずつ増えている。今でも。
新刊の表紙デザインをいただいたのでお披露目する。5月19日の文学フリマで頒布する予定の「星成之巫女」の表紙だ。
かわいくてきれいで最高の表紙になった。表紙はミランダスノーホワイトを使う予定なので、ほんとうの星空みたいにきらきらとした本になる予定である。反して、中身は少々暗くさみしいお話なので、そうそうこういうギャップのある本を出したかったんだよな、とうなづく。デザイナーさんは本当にすごい。有難い。修正にあたって相談を受けてくれた同人フォロワーにもお礼を言いたい。本当に助かった……
3万字くらいの本なので、ペラペラの薄い本になる予定だ。すでにベッターに挙げているものに書き下ろしを加えようかは悩んでいるところで、まあハズビンオンリーが終わってから考えたらいいだろう……というような気持ちでいる。5月5日にビッグサイトへ行って5月19日にまたビッグサイトに行くのだが、3月含めてもう3回もビッグサイトに行くことになっており、実家よりよほど帰っているスケジュールに笑ってしまった。でも実家に行くお金で本が出せるから……。
スプラトゥーンのアップデートがきた。テイオウアサリ、ようやく終結……! いや遅すぎる! ヤグラのテイオウイカはあんなに修正が早かったんだからテイオウアサリももっと早く修正してほしかった。大型アプデが来るたびにテイオウアサリのナーフは!? と言い続けていたせいで、スプラ垢のフォロワーからは「あんたの顔が真っ先に思い浮かんだ」と言われる有様である。でも本当に良かった。あと竹の塗り・ヒト速強化は?
3か月ごとにある婦人科の定期検診へ行った。正直、今回は不安だった。ついこの前、右の下腹が嫌に痛んだからだ。チョコレート嚢胞が再発したんじゃないかと思い、恐ろしかった。然し、以前にしてもらってから半年が経っていたので内診をしてもらったところ左右とも卵巣はきれいで再発は特にないとのことだったので安心する。ジエノゲストをやめるかどうか問われるも、飲んでいない方が不安になるので、もう年単位で続いている毎日の不正出血に耐えながら薬は継続することにした。チョコレート嚢胞は怖い。摘出してからもずっと怖い。卵巣がんで20代で死ぬのかもしれない、なんて二度と思いたくない。ぜったいに再発してほしくない。本当に。
同じ部署の先輩が、お父さんになった。予定日より早く男の子が生まれたそうで、そもそも先輩の奥さんが妊娠されていたことすら知らなかったこともあり早退する先輩の背に驚く。身近な人が親になるというのは今回で二度目か三度目になるけれどもやはり、なんとも不思議な気分だ。今からずっと、ちいさな命の責任を抱えながら生きていくんだな、歩いたり話したりする喜びを得て大人になるまでを何十年もの間守っていく人になるんだな、良いも悪いも教えて生きていく人になるんだ、と思うと本当に子どもが生まれるというのはすごいことである。生まれたばかりの赤ちゃんの写真を見て、しっかり髪の毛があって目が開いていてることにわたしは感心しきりだった。命だ、と思った。
仕事で1日外作業をする。何かを運転する行為が人生において1番に据えられるくらい本当の本当に苦手なのでどっと疲れた。わたしはハンドルの切り返しや車体をうまい具合にカーブさせたりなどの感覚が掴みにくい人間で、端的に言えば運転がド下手くそ(それをなんとかしたいと思っているがどうにもならない)なのだが、いつまで経ってもバックする時に回すべきハンドルの向きがわからないのでもう車の類に乗らない方がいいんだろうな……と思う。ハンドルがつく乗り物が総じて苦手だ。外作業中、ふわもちのドーナツをいただいたりブラックコーヒーをいただいたりしてなんとか乗り切った。
今週のご飯はこちら。
かつおときゅうりのたたきの丼。温泉卵がうまくできた。トロトロすぎるのよりちょっと固い方が好きなことに気づいた。
豚肉のニラダレかけと小松菜の鰹節炒めといつものラー油納豆に卵かけご飯セット。土日の食生活を振り返れば人間らしい。
婦人科の検診後に買ったパン。スプラトゥーンのアプデを待っている。
斜線堂先生の新刊、「プロジェクト・モリアーティ」が届いたのでそちらを読み、宝石の国も最終話が近いということで無料公開キャンペーンをやっているのを読み返した。なんというか、話の流れや終着までの至りを読みながら、嗚呼こういうふうに起承転結を書いてもいいんだよな、と思わされる。何かしらの作品を読んでいる時、わたしだったらここにまたひと捻りいれたくなるな、とか、ここでこういう展開にはしないかもな、と考えながら読むのは楽しい。大抵予想は外れるので、なるほどなあ、と目を細めたくなる。
日付が変わる頃に電話をしてきてくれたフォロワーと深夜の3時まで話す。そういえばこんなことがあってさ、これ話そうと思ってたんだけど、などとくだらないことを言って笑って、じゃあ寝るねーと通話を終えた。こういうことをできる相手とずっと関係を続けていたい。
4月も最終週に入る。今週末にはサンプルを上げなければいけないし原稿もそろそろ仕上げだ。踏ん張っていく。