監督 イアン・サミュエルズ
Amazonプライムで吹き替え版を視聴。99分。
あらすじ:タイムループにはまり込んでいる2人の十代の若者。そこから抜け出したいマークと、とどまっていたいマーガレット。見逃してしまいそうな日常の小さな奇跡を共に探していけば、同じ日が繰り返される理由を見つけ、そして、そのタイムループから抜け出すきっかけをつかめるかもしれない。
鑑賞録の間が14から18まで飛んでいるのは、単純に映画自体は見たけれども鑑賞録を書けていないからだ。「アメリカンフィクション」「落下の解剖学」「Twilight」はここ最近の忙しさもあってあれよあれよという間に観てしまってからの期間が空いてしまい、鑑賞録を書けなかった。反省している。せめてどこかでまとめて書けたら……。アメリカンフィクションは小説を書く人間として共感できる部分がいっぱいあったし、落下の解剖学は自分がどれだけ醜い大衆側であるのか知ることができたし、Twilightはロバート・パティンソンの顔が綺麗すぎてそればかり記憶している。
さて、『明日への地図を探して』だが、とっても良い映画だった。嗚呼、きっとこの先も思い立ったら観たくなるような映画だなと思わされた。テンポのいい会話、リズムよく繰り返される日常は聞いていても観ていても心地がよかった。
映画は、主人公のマークが起きてリビングに降りるところから始まる。テーブルで朝食を食べている父親や妹の台詞をすでに知っているかのように被せて会話し、妹が落としかけたマグカップを見事足で拾いあげたら、軽やかに自転車に跨ってマークは家を出てゆく。道に迷っている女性を案内して小洒落たジョークを交わし、道ゆく人の捲れかけたスカートをトングで直してやって、なんとはなしに入ったダイナーでは当選番号が生中継されている宝くじにも当たる。行きついた先のプールではついさきほど道案内してやった女性に飛んでくるビーチボールが当たらぬよう守ってやって、そこですこしだけロマンスが始まりかけるも、……至らず玉砕する。あまりにもスムーズでなめらかな足取りに、たったこの一連の流れを見るだけでマークがこの世界を何度も何度も繰り返していることが観ている側には察せられる。ループ物における「この主人公はループしていますよ」という表現の方法は多岐にわたるしこの映画の表現だって特に珍しいものでもなかったと思うけれども、それでも、映像で見ていてたのしい下りだった。プラダの悪魔のオープニングは有名だが、個人的にはあれに匹敵するくらい繰り返し見たくなるオープニングだった。淀みなく、つまづきもせず流れるように腕や足が動き、人々の歩みや視線を完ぺきに先読みして生活をするマークの様はリズミカルでスムーズだ。
マークは幾度となく同じ1日を繰り返し、夜を迎えたらまた同じ朝に戻ってゆく。明日に行けず、同じ日に囚われ続けて毎朝妹の落としかけるマグカップを拾う。女性に道案内をしプールサイドではビーチボールがぶつからないようまた守ってやったり、はたまた変なタイミングで割って入って気まずい雰囲気になったり、守るのに失敗してプールに落ちたりしながら、女性に別方向でアプローチしてみようと試みながら、フられる。そんなマークがすっとかわいくて面白くていい。とても愛せるのだ……。
そうして繰り返し続けていた毎日の中で初めて、マークはいつものようにプールの女性に向かって飛んできたビーチボールに手を伸ばそうとして、その瞬間、ボールの描いた放物線を自分以外に止める人間──マーガレットに出会う。きっと僕と同じだと確信したマークはマーガレットの後を追い、ヘンゼルとグレーテルのお菓子みたいに残される証拠を拾い集めながら彼女にたどり着き、僕もループしてるんだと告げ、彼女の連絡先を得る。メッセージを送りあって待ち合わせをし、彼と彼女の関係はゆるやかに始まる。
マークとマーガレットは、際限なく繰り返されるループの中でだんだんと仲を深めていく。ループの中でお互いが見つけたささやかな街の奇跡やハプニングを見せ合って、きゃらきゃらと笑い合う。その過程の描写が、この上なく良かった。あんまりこの言葉は使いたくないのだが、本当の本当に、エモかった。劇的じゃないけれども誰かと共有出来たら忘れないでいるような、なんでもなくて、でも一度見たら誰かに話したくなる、そんな奇跡を共有してゆくマークとマーガレットは誰もがまったく同じ1日を過ごし続ける世界の中でたったふたり、毎日すこしだけ観るところを変えながら、ふたりでゆける限りの世界を観測しようとする。何回も同じ1日を過ごしたからこそ、閉まりかけたドアにちょうどペットボトルを挟んでみせたりすることもできる、それが何百回と練習したたまものであるがゆえに。
また、どんなことをしたってどうせループするんだから、というような理由で派手なことに手を出そうとするのも面白かった。特に、ループに対するマーガレットの割り切り方は観ていて爽快だ。結構とんでもないことをしているのに、それを「どうせループするし」と言ってしまえるその性格がいとおしい。学校に自転車でもぐりこみ、二人乗りしたそれで校舎を好きに走り回ったり。マーガレットのために段ボールとシーツで出来上がった宇宙をプレゼントしたり。モデルルームの家具をぜんぶ壊して割ってこなごなにしたり。特にこの、モデルルーム破壊シーンの派手さと華麗さといったら……。あれは今まで見た映画の中でもトップクラスに入るくらい好きなシーンだった。裂かれたクッションからあふれた綿はふわふわで儚くて、すべてが粉々になった世界で床にあおむけになる二人は切なかった。こういう雰囲気でこういう会話を交わすシーン、小説で書きたすぎるな……と思った。いつか書く。
ルークはループから抜け出したい、と作中でいう。マーガレットは、私はそうおもわない、とそれに返す。なるほどそこで対立するのか、とわたしは思う。
マーガレットは決まった時間になるといつもどこかへ行って、「時間だから」とマークの前から姿を消してしまう。どんなに楽しい1日を過ごしても、暗い顔で、無免許のくせに音楽の趣味が悪い友人の車を盗んで乗って留められている自転車を引き倒しながらどこかへ行ってしまう。
話も半ばを過ぎるころになると、ふたりはループに対して向き合おうとし始める。もしかして今居る場所を離れたら、国を出たりしたらこのループが切れるんじゃないかと考え、東京行の飛行機に乗ろうとふたりで試みるマークとマーガレットだったが、確証こそ得られなくてもマーガレットは矢張りループから抜け出したくなくてお小遣い30回分のチケット代を無駄にしてまで、マークを残して飛行機から降りてしまう。取り残されたマークは日付変更線を超えようとするものの努力空しく結局ループしてしまうのだが──なんのことはない、マーガレットがループしたくないのは、ガンで死に瀕する母の死を受け入れられないためだった。スケボーでひっくり返って運ばれた先の病院で偶然この事実を知ったマークは、このループの主人公(中心)に居るのは自分でなくマーガレットなのだろうと気づく。マーガレットが何かにつけて言っていた「死んだ人も生き返る。毎日15万人が死んでいる。誕生日の人もたくさんいる」の言葉を追想して、気軽にループを抜け出したいなんて言えない、とうつむく。ここで、今までマーク視点だった映画がマーガレットに変わるのだ。いいな~と思った。だってちょっと上手すぎる……! 演出とか、その他もろもろのタイミングが……!
マーガレットと、病室に居るマーガレットの母のシーンはありふれた別れのシーンであった。ただ、ありふれているからこそその、すぐそばにあるさみしさやかなしさに共感できてしまうし、わたしならどうするだろうかとも思う。具体的に想像もできてしまう。これ以上1日が進まなければいい、とわたしならマーガレットと同様にループを望むだろうか。母の手を握って、死に瀕する母へ会いに行き何百回とそれを繰り返せるだろうか。
マーガレットはマークのことを母に話しながら、その会話の果てで得た言葉をきっかけに立ち上がり、やがて、このループの仕組みをほどこうと奔走する。母の死から進もうと決心をして、ペンをとる。マークが作った「奇跡の地図」──これがまた、ほんとにとにかくめちゃくちゃいいのだ──を元に、街で起こる奇跡の法則を求めてゆく。ツリーハウス、掃除屋のピアノ、魚を掴む鷹など、……そして地図のその最期のピースを埋めるのは、夕暮れの、自分たちが初めて出会った場所に居るマークで、彼と先に進もうとするために必要な奇跡だった。マーガレットとマークは寄り添い合いながら、ループからの脱出を図る。
果たしてこの映画は、さりげない部分に至るまでささやかな奇跡と愛情で満ちていた。その満たし方がとにかくおしゃれで、とにかく、監督のセンスの良さというかその手腕にしてやられたなと思わされるものだ。定番のテーマなのに、ちっともくさくない。そしておもしろい。いい映画を観られたなと思った。こんな小説が書きたいなとも思わされた。あと、マーガレットの吹き替え声優さんの声が本当に本当に素敵なのでぜひ見てほしい。わたしもきっとまた観る。近いうちに。