監督 スティーブン・チョボウスキー
Amazonプライムで吹き替え版を視聴。103分。
あらすじ:遺伝子疾患による風変わりな容貌を持つ少年。小学校5年生で初めて登校した彼は、偏見やいじめを受けるが、家族の深い愛情と勇気に支えられ、少しずつ困難を乗り越えていく。やがて周囲も彼の魅力に気づき、輝き始める学校生活。そして彼は、忘れ得ぬ修了式を迎える。
開始2分で早くもぼろぼろと涙が出ていた。観終えるまで、ずっと鼻を啜って涙ぐんでいた。いい映画だった。いい映画だった! 見ることができて、本当によかった。
主人公は宇宙飛行士のヘルメットをかぶり、自らの顔を隠して生活するオギー。幼いころから繰り返した27回の整形手術を経たことですこし傷の多い顔を持ち、宇宙やゲームが好きで月に行くのが夢の、理科が得意な男の子。ウィットに富んだことも言えて、頭がいい。オギーの母親と父親と姉は皆オギーを愛している。けして目をそらしたり厄介者扱いなんてせずにオギーに向き合い、オギーを心配し、彼の幸せを心から願っている。序盤から描かれるその疑いようのない彼らの愛情に、早くも目が潤んでしまうのだ。犬のデイジーを含め、オギーの家族はみんな魅力的だった。献身的でオギーにただしい道を示し前向きな言葉をくれる母。冗談を言って周囲の雰囲気をやわらげてくれる父。弟のオギーを励まし寄り添ってくれる姉。犬であるからこそ真の友人であるデイジー。
母の勧めでオギーが学校に行くようになってからは、自分がオギーと同様にこどもだったころのことを思い出しながら観ていた。学校とはやはりこどもにとっての世界のすべてで、そこでの交友関係というのは自分の存在価値を知らしめてくる一種の指標だった。大人になった今だからこそとても狭いコミュニティだと言えるけれども、当事者だったころの記憶も覚えているから、つらかったことがたくさんあったなと思える。目立つ子と仲がいいことはアドバンテージになり、クラスの輪から外れた子と自分を見比べて残酷にもわたしはまだ大丈夫だと思えたりもする。学校という大きな枠組みの中にクラスが在り、その中でさらに小規模なサークルが生まれては消えてゆく。然しこのサークルはけして不変でなく、何かをきっかけに常に変化してゆく。それはたぶん、この話におけるオギーがジャックにテスト用紙を見せてあげたことだったり、ジャックとともにいるオギーが見せてくれる笑顔に周りが気づくことだったりするのだ。
オギーを取り囲む世界は、特別彼にやさしいわけじゃない。むしろ逆風の連続だ。オギーはさまざま困難に出会う。家に籠っていては出会うことのなかった、学校に通うからこその困難だ。オギーは学校で酷い言葉を投げかけられ、ひどい手紙を送られたり不躾な視線を注がれ続ける。事情を知らないクラスのこどもらに好き勝手言われ、好きなものを貶されて、揶揄われ、嫌な思いをする。その上、友達になれたと思っていたジャックが自分の悪口を言っている(ジャックが本心で言っているわけでないのは後々わかるけれども)場を見かけてしまったり。オギーは聡明な男の子なので、周囲が自分をどう思っているか・自分が他人の目にどう映るのかを客観的に考え、捉え、自分なりの答を得て納得することもできる。でも、それに耐えられなくなる時も当然あった。ジュリアンらにいじめられたオギーはある日泣きながら、「なぜ僕は醜いの」と母に問う。母は「人の顔には印があるの。心は人の未来を示す地図で、顔は人の過去を示す地図なの。あなたは絶対に醜くないわ」と返す。それはこれからのオギーの人生において、きっと指針になる言葉だろう。
(オギーがハロウィンを大好きでいる理由にも、つい視界が揺らいだ。顔を隠して仮想すれば、ばい菌扱いをされない。ハイタッチだってできる。悲しい理由だ。でもこれはわたしが勝手に思っているだけで、オギーには関係がない。彼はただ、ハロウィンが好き。)
この映画はオギーを主人公としているけれども、ときおりオギーの周囲にいる登場人物の視点を交えて話が進む。主人公のオギー。その姉のオリヴィア。オギーと友人になったジャック。オリヴィアの親友であるミランダ。彼彼女らの視点になると、オギーの視点では見えていなかったこと、……みながみな、何かしらのままならなさを抱えて生きていることが描かれており、相応の悩みにうつむきながら生活していることがわかる。オリヴィアは親友と上手くいかなくなりオギーにかかりっきりの両親を横目にさみしさを覚えている中で、演劇部に入りジャスティンという支えを見つける。ジャックは、行きたかった学校と違う学校に通わされているものの奨学金を出されており希望する学校には行けない上に、ジュリアンという嫌な友人に付き合って学校生活を送っている。ミランダは、父が離婚し再婚した母親と暮らしながらも家にいるのが嫌で、サマーキャンプに行き嘘をついて派手な友達をつくるも、親友のオリヴィアがやはり恋しくなる。登場人物みながうつむきたくなるそのどれもが、観客側である自分の心にも近い場所にある憂鬱やさみしさ、窮屈なかんじに似ていて、ああわかるよ、と思いながら眺めることとなる。共感できる境遇、悩み、痛み、苦しみは、ふつふつと心を煮る。そうして悲しさや悔しさにいらだって地団太を踏みたくなっても人生はまだまだ続くし、かならず朝が来る。その時、うずくまっているのでなくすこしずつ、自分を鼓舞しなくちゃいけないし、逃げたい事実には正面から目を向けなくちゃならない。
話が進むにつれて、映画らしく漏れなくみんなが在る程度いい方向に進んでゆく様はストレスがなくてよかった。(※ただしジュリアンは除く。彼は彼で、家庭環境が可哀想な男の子であった。いつか彼自身が気づかなくてはいけない、と大人になった今だから思える。)
ジャックとの仲直り、ヴィアの演劇、理科の研究発表での一等賞、上級生と喧嘩したキャンプを経て、オギーは周囲に受け入れられ彼自身の魅力によって愛されてゆく。ヘルメットをはずして、オギーは自分自身の顔を隠さなくなる。そうした道程の果て、修了式でメダルを受け取ったオギーのセリフは印象深い。──「世界中のだれもが、一生に一度はスタンディング・オベーションを受けるべきだ」その通りだ、とうなづく。この映画は、いい言葉が多い。説教じみていない、いい言葉ばかりだ。ブラウン先生の「人をいたわれ、みんなも闘っている。相手を知りたかったらやることは1つ。よく見ること。」もわたしの好きな言葉だった。
終始、どこまでも前向きで、きらきらとまばゆい映画だった。「太陽」という言葉を思い出しながら、エンドロールを見つめた。観終えたあとは 体がぽかぽかとして暖かかった。自分を癒してくれる映画に出会うと、仕事や憂鬱なことで冷えて固まった心が湯がかれたような気分になる。涙を流すのは自分の心の灰汁を除くようなもので、思う存分泣いてすっきりしたくなる。またみよう、と思った。きっとまた観る。