監督 エメラルド・フェネル
Amazonプライムで吹替版を視聴。127分。
あらすじ:オックスフォード大学に入学したものの、華やかなエリートである同級生たちに馴染めずにいたオリバーは、上流階級の人気者の同級生フェリックスとひょんなことで知り合い、友情を育む。夏の休暇中、オリバーはフェリックスに招かれ、彼の壮大な豪邸・ソルトバーンで過ごすことになるが……。
観ている間ずっと「助けて……」と心の中で言っていた映画だった。比喩でも持っているわけでもなく本当にずっとだった。この作品を映画館でなく、家で観ることができて本当に良かった。そうでなければ込み上げる嗚咽と目に痛いほどかがやく夏の緑と果てしない悪辣さと目を逸らすことの許されない狂気でどうにかなりそうだった。オブラートも何もない、剥き出しの感情に引き摺られてこちらまでおかしくなる。凄絶な映画だった。
ジェイコブ・エロルディをフェリックス役に据えたのはどう考えたって正解だろう。他の誰でもない彼をこういった役目に置いた審美眼にはもはや拍手したい。否応なくフェリックスは魅力的だった。観客を惹き込み、オリバーの行動や執拗に視線が吊られる様を半ば納得させられる説得力がある。ハンサムなハニーフェイスは勿論、振る舞いから仕草、言動に至るまで他者から愛される才能を感じずにはいられなかった。そのおそろしさといったら! 他者から感情を向けられるに足る相応の魅力を振りまいていた。当然わたしも観測者としてそんなフェリックスに目を奪われた一人だ。叶わない位置に居る人間だと自覚していようとも、一言は声を交わしたくなる。だからこそ、オリバーの視点で描かれるフェリックス越しの世界がより色鮮やかでエロティックで、鏡の奥のまばゆいひかりに見える。
この映画の一つの特徴であるのだろう、性的なシーンの描写はとにかく芸術的だった。しかし、ただそうであると断ずるわけにもいられない圧倒的なグロテスクさがそこにはある。ほとんど奇行に等しいシーン(この映画はコメディにもカテゴライズされているけれども、もしかして笑う場面ってここか? ええ……。と疑いたくなるほどに)まであって、口をあんぐりと開けてしまう。人間の本能と、そこに混じる狡猾な言葉遣いにしめりけのある息遣い。シチュエーションとシルエットが完璧に計算されているからこそ嫌に思えるほど目に確りと映る。自慰をしたフェリックスの湯船を啜って飲むシーン、ネグリジェ姿のヴェニシアの経血を舐めるシーン、フェリックスの墓場での自慰行為など、目を逸らしたいのに画作りが天才すぎた。どれも記憶にはっきりと残っている時点で制作側の戦略に負けている。本当に助けてくれ。このままじゃ夢に見る。本当に!
映画を見るとそういう景色を拝めることができるので大層楽しいのだが、映像はとにかくお洒落でうつくしく心地が良い。オックスフォード学舎内の整えられた雑然さは勿論、屋敷は可愛らしさと荘厳さを適切に兼ね合わせた建物になっている。部屋には調度品が並べられ、歴史的にも価値のある物が数え切れないほどある。フェリックスの家族らは皆その場に佇むに相応しい質のよい服に腕を通し晩餉の都度身を整える。理想的なバカンスと陽光の照りつける庭のキュートさ。そしてそこに紛れ込む、チャリティショップで買った服を着るオリバー。絶妙なズレであり絶妙な違和感だ。最後まで見てから思い返すと、より「どうしてまだいる?」の問いがリフレインするようだった。屋敷に訪れてから膨らむ羨望と憧憬が、オリバーの乾きを加速させる。それだけの想いで彼は、一匹の【蛾】はソルトバーンにしがみつくのだ。
オリバーの母親と父親が出てきてからは、ずっとクライマックスの気分で見ていた。嘘と演技が発覚してから走馬灯のように流れるフェリックスとのやり取りがどうしようもなく曇りゆくようすが堪らない。木の下での出逢い、泣きついてフェリックスの部屋にゆくオリバーと迎え入れるフェリックスが相対する寮の部屋、川に父の名を書いて捨てる夕暮れ、図書室での吐露。それらの全てが作為的でオリバーの執着のあらわれ──フェリックスのように成りたい、空っぽでなく中身のある人間に成りたいという渇望──だというのだから、愛と呼ぶには幾らか恐ろしい。明らかにされてゆく手管と伏せられていたカードが開かれてゆく展開のおおよそは察してはいたけれどもいざ目の当たりにしてしまえば白旗だった。そこまでやるのか、と思わされると同時、成してしまえる頭脳と躊躇いのなさが愛と憎しみとして同居するのも人間であるからこそだと不思議と納得させられた。
ラストの全裸屋敷徘徊ダンスシーンはほとんど失笑していた。異様に濃いモザイクが逆に白けさせてくる。2回目を見たらまた面白いだろうと思うけれども、2回目を観る勇気が今後の人生で訪れるかあやうい。そういう映画だった。主演であるバリー・コーガンの怪演に拍手。