著者 グアダルーペ・ネッテル
訳 宇野和美
ネッテルのこの一冊は、斜線堂有紀先生のオールナイト読書日記(https://tree-novel.com/sp/works/episode/22566ac290ca0251772d48ded127ab95.html)で紹介されていて気になった本だ。大好きな話を書く作家さんがお勧めする本なのだから、多分自分にも刺さるだろう……。そういう信頼のもと手に入れた本である。
六篇の短編から成るこの短編集は、まさに帯とタイトル通りの話で形づくられている。『すべての人間はモンスターであり、人間を美しくしているのは、私たちのモンスター性、他人の目から隠そうとしている部分なのです。』──この言葉を真っ先に目につく帯に入れたのはとても上手い。何せこの言葉を理解してから読むことで、それぞれの短編集に対する印象ががらりと変わるからだ。無関心に読めば、タイトルにも並ぶ「不穏」と称されるに相応しい特殊な内容に眉根を寄せるだけの本かもしれない。然し、自身のうちに潜み、他者の目から隠そうとしている【モンスター】こそ人間の美しさであるとするネッテルの手によって記された物語であると知れば、それぞれの主人公たちにやや特殊な癖や好み、考えが根ざしていることに一種の煌めきを覚えざるを得ない。例えそれが読者には理解のむつかしいものであったとしても、その性質が彼彼女らを美しく足らしめているのはただしく、ネッテルの手腕によるものである。
六篇のうち、「盆栽」と「ベゾアール石」がわたしは好きだった。「盆栽」はオカダの至った考えや感情自体自分にもわずかながら覚えがあるし、共鳴できる部分がある。オカダの発見それ自体がこれから先の自分の救いになってくれる、「盆栽」がそんな物語であるような気もしている。自分がサボテンで隣に居る誰かがつる植物なら、好みが違うのも雨の日に元気になるのも考えがことなるのも必然で、当然だと割り切ることができる。たぶん、そういう考えを内包しながら生きてゆけたらずっといろんな物事を諦められるのだろうな、と考える。植物園に行って、自分に似た性質を持つ植物を探してみたくなった話だった。
「ベゾアール石」は、精神病棟に入院する主人公の日記形式で綴られる、母のドレッサーにある毛抜きをおさないころに手にしてしまったが最後、ずっと自分の毛を抜いてしまう強迫観念に囚われる女性が、同じく指をどんな時にも鳴らしてしまう強迫観念に囚われる恋人といびつな関係をむすび、そしてどうなったかを告白する話である。わたしはいびつでままならない愛の話が好きなので、「ベゾアール石」の彼女がどうにも愛おしかった。そして、強迫観念の類にはささやかなものであれ心当たりがあるので、ネッテルの描写に苦しくもなった。そうだ、と思うのだ。帯にも書かれているが、「わたしはいつでもみんなを愛していたのだと。誰一人傷つける気などなかったけれど、わたしのどんな願いよりも癖の方が強かったのだと。」の文章がひびく。完璧な心の平穏を得るための処方箋がわたしも欲しい。そしたら、周りに不幸を与えず誰かを愛して生きられる。きっと誰しもがそうだ。彼女だって処方箋があれば、──ベゾアール石があればビクトルの癖にも耐えられたし自分の癖にだって恐れずに済んだ。
一月中に一冊読めるか不安だったのだけれどもなんとか達成できた。次に欲しい本は決まっているので、二月も必ず一冊読む。2024年はインプットをする。ちゃんと。