特にその関連のポストをいねをした記憶はないのだが、最近ぼうとXのおすすめ欄を眺めていると受験生の皆さんのポストがよく回ってくる。合格した、というポストを見るたび、まったく知らない誰かの言葉でしかないのに、本当におめでとう、と思う。みんなしあわせな春を迎えられますように、と祈っている。春とは斯くあるべきなのだ。
そうして受験生の合格ポストをスクロールしつつ、自分が受験生だったころのことをなんとなく思い出していた。大学受験前のわたしは、高3の夏まで吹奏楽というハード系文化部での活動に明け暮れていたおかげで勉強というものを放棄しまくっていたため、お世辞にも成績がいい学生とは言えなかった。(特に数学は異常なほど苦手すぎて、高1時点の数Aでは9点を取ったこともある。もちろん100点中の9点だ。)その上高校生のわたしは絵を描くことが大好きで授業中に絵を描きまくっていたし、宿題も適当だったし、塾の先生もなかなか手を焼く受験生だった。塾に入った瞬間、塾長に寄越せとスマホを取り上げられ金庫に入れられるレベルだ。極めつけに、二次創作にハマってしまいものすごい勢いで小説も書いていた。高校3年生のわたしは受験と絵と小説を両立させていた(※両立できているわけない)のだが、あのころの自分の体力というか、意欲というか、そういう勢いが今でもうらやましい。
そんなこんなで受験する大学を部活引退後の夏の終わりになんとか決め、本格的に受験勉強をし始めた。……のはいいものの、目標にしたのは自分の偏差値よりすこし上のクラスの大学で、関西圏内の受験生なら概ね誰もが名前を識っている大学だった。落ちこぼれ受験生のくせになぜそんな大学を……? といった感じなのだが、単純に受験したいその学部で学べそうな内容が面白そうだったから、に尽きる。というわけで崖っぷちにありながらわたしは受験勉強を開始した。振り返れば、それなりに勉強したし怠けてはいなかったと思う。とはいえ大まじめにやっていたのかと訊ねられれば、はいそうですとはとても言えないのだが……。
ところで当時のわたしはめっぽう暗記に強かった。テスト前なんかはしゃらくせえ! と言いながら数学以外の教科の勉強を教科書とノートの丸暗記で済ませるような学生だった。(数学が苦手だったのは、丸暗記ではどうにもならなかったからだ。)然し、暗記だけじゃどうにもならないこともある。赤本や模試の勉強で草臥れていた日々のさなか、得意科目であったとはいえ目標にしている大学の出してくる日本史があまりに重箱の隅を楊枝でほじくるような内容だったので、わたしは受験の1か月前に受験科目を変えることにした。暗記で拾いきれない歴史を捨て、暗記でどうにかなる科目に目星をつけた。
というわけで、日本史から、政治経済に科目を変更したのだ。
今思えばこの決心は恐ろしいことこの上ないし、塾の先生もよくOKを出してくれたな……といった感じなのだが、当時のわたしは受験科目の変更というトンデモ決心をしたにもかかわらず教科書丸暗記上等! というような心構えだった。勇ましくて何よりだ。くたくたになった日本史の教科書を放り、表紙が大して折れておらず汚れてもいない政治経済の教科書をカバンに入れるようになった。
果たしてその結果、わたしはめでたく合格最低点数プラス1点という驚異の点数で志望校に合格することができた。ぎりぎりにもほどがあるのだが、合格は合格だ。家の外から聞こえる郵便バイクの音に震え、家に届けられた封筒を開き、合格の文字に家族で抱き合った。やったー! と言った。え!? 合格最低点数プラス1点での合格!???!?!!!? 運がいい……と知り合いや親戚じゅうに言われながらおいしいお寿司を食べた。塾の先生や塾長は、呆れ顔で喜んでくれた。わたしの受験奮闘記は、おおむねこんな感じだ。わたしの人生も、だいたいこんな感じだ。受験生の皆さん、ほんとうにお疲れさまでした。
今週も、特に何かをしたわけではなかった。何かしたと言えばイベントの準備くらいで、そのほかは本当にずっとトップガン マーヴェリックを観たりすこしスプラトゥーンをやったりしたくらいだ。途中、帰宅時の雨のせいでこれでもかというほどびしょぬれになりびしょぬれのまま皮膚科に行きめそめそしながら帰った夜もあるけれども、平日は特に変化なく、無配や一次創作小説を書きながら過ごした。
『艶八木奏々とむくろの音』
たぶん、12月に書き上げた『星成之巫女』以来の一次創作になるのだが、やっぱり二次創作とはことなる面白さがあるよなぁとしみじみ感じる。一次創作小説は二次創作小説を考えているときに使う脳みそとは意識している場所が大きく違っていて、文章の綴り方もわずかに違う。何もかもを好きに書けてしまうというのは自由であってある種の縛りでもある。今回は骨(モチーフとして使いがち)×ピアノ×行き詰った奏者×殺人鬼×奏者の苦労をしらない熱心なファンという、好きのてんこもりで書いた話だ。やっぱり、わたしの創作はどれも根底に「憧憬」「執着」「諦念」がある。その3要素はそれぞれがうっすらと漂っていることもあれば、どれかひとつが色濃くにじんでいる場合もある。自分の作風が好きなので、一生こういう雰囲気の小説ばっかり書いていたいな、と思う。
金曜日は午後を休みにして掃除とイベントの準備に徹した。否、徹しようとした。先週の日記で書いた通りフォロワーが泊まりに来る予定だったから、そう"しよう"とした。然し特大のトラブルが起き、掃除がなんだと言ってられずほぼ定時の時間までそのトラブルの対応で追われていた。本当に肝が冷えたし寿命が確実に縮んだトラブルだった。二度と起こすまい……と心に刻む。然し、汚い部屋に友人を上げるわけにもいかないので勿論掃除もちゃんとした。
イベントの前日、必要な荷物を受け取ってからアンダーテールのオーケストラコンサートに行った。コンサートまではイベント用の無配を刷ったりイベントの準備物を買ったり、合流したフォロワーとシナモンレモネードを飲んだりしていた。そして、アンテグッズ(犬のキーホルダー)を鞄につけたお姉さんの後ろをついていきながら東京オペラシティに向かった。わたしたちに用意された席はS席で、1階の右端だった。ストリングベースが目の前で、主に低音部隊が見えるような本当の右端の位置だ。本当の右端でトイレにすぐ行けるような、なかなかそういう場所でオーケストラを聴いたこととがなかったので、楽しみ半分どのように聴こえるのだろうと不安じみた思いとが半分あった。
とはいえコンサートの感想を先に述べておくと、そのような不安はすぐに払拭された。とにかく、これ以上の言葉が見つからないというほどに最高だった。そしてその最高の理由には用意された席が中低音を正面に据えた右端の席であったがゆえ、というのがある。
わたしが当てたチケットは日記でも先述したとおり、Cプログラム「C Program -Once upon a Time-」だった。NルートからPルートの流れまでを追ってゆくようなセトリが組まれ、演奏隊の上にはゲーム画面の映像が映し出されていた。正直言うとあの……演奏開始2秒くらいでもう涙ぐんでいた。音は目に見えないものの、正面から向かいくる音圧がわたしたちの愛しているアンダーテールの音楽の輪郭を纏っているので、どうしようもなかった。情報をほとんど仕入れなかった(Hopes and Dreamsやその他数曲が聴けることくらいしか知らずにいた)ために、あれもこれも聴けちゃうんですか……? この豪華なオーケストラで……? と驚くばかりでいい意味で放心していた感じだ。
各曲にさまざまなアレンジが加えられており、ソロなんかは特に華やかで、聴いていて楽しかった。(あっ今音取れなかったな……みたいなのがわかるのはブラバン経験者ゆえの歯痒さみたいなところでもある。)ペット部隊の弾け咲くような高音の鳴りは、思わず奏者のくちびるを心配してしまったくらいだった。耳が溶けそうな(?)くらい深く格好良い音色の中低音に惚れ惚れしながら、思い出深い曲の数々を聴く。トリエル戦、パピルス戦、アンダイン戦、スノーフル、グリルビー、手ミー村…………。
全5部構成のうち3部までが終わって一度休憩が挟まり、水とパンフレットを買いに一度ホールを出た。そしてパンフレットを手にしたその時にわたしは知る。大大大好きな曲である『アズゴア』がこのあと演奏されることを……! それを知って、スキップで席まで戻った。隣でべしょべしょに泣いたらごめん、とフォロワーにだけ伝え、4部の開幕に備えた。──そしてその後、待ちに待ったアズゴア戦の演奏を聴いている間の記憶だけれども、正直な話ほとんどない。全然覚えていない。なんというか、人って本当に楽しみにしていたり感動していると記憶が薄れるというよりその瞬間に意識を集中させすぎて記憶していられないんだな……と思った。記憶にリソースを割ける余裕がない。ただ、言葉に表しきれないくらい感動したのは確かだ。最悪の悪夢からHopes and Dreamsの流れでは、演奏の壮大さとあふれる希望の音色に感動しすぎて人生で一番静かに涙が流れた。耳と目の神経を澄ませるばかりだったので、ほおが冷たくて初めて自分が泣いてるのに気づいた。人間ってこんなに静かに泣けるのか、と初めて知った。アンコールまで、ずっとこんな調子だった。本当に良い演奏会すぎて、終わった後は勢いとノリで4月のDプログラムの公演にも申し込んでしまった。絶対当てたい。スパイダーダンスとMEGALOVANIAが聴きたい……! 最高のコンサートをありがとうございました!
夜はフォロワーを隣駅に迎えに行ってから自宅に案内した。印刷した無配を折りイベントの準備を進めながら未視聴だという彼女にハズビン・ホテルを見せ、4話のくだりで「想像以上にすごいな……」とつぶやく彼女にそうでしょうと首が取れそうになるくらいうなづいた。とはいえこの晩は、翌日のイベントへの緊張のあまりずっと吐きそうでずっと心臓が気持ち悪く、四肢指先が震え、明日誰も来てくれなかったらどうしよう、とそればかり考えていた。本当の本当に不安で死にそうだった。頑張って折ってはいるけれどもこの無配一部も手に取られなかったら悲しいな〜なんて言っていた。
そうして迎えるべくして迎えた翌朝、入れてもいないはずの死体が入ってるのかと疑いたくなる重さのキャリーを持ってフォロワーと共にビッグサイトにいく。緊張する、吐きそう、不安でどうにかなる、などとぶつくさ言いながらもビッグサイトに近づくにつれ、キャリーケースを引きずるオタクが目に見えて多くなってゆくのは面白かった。みんな原稿や締め切りに追われつつもこの日まで一生懸命頑張ったんだなぁ〜と思う。あり得ない量の人波にもまれつつビッグサイトの駅で売り子の友人と合流し、なんとか東3ホールに向かった。お隣の方に挨拶をして(なんと素敵な差し入れまでいただいてしまい)、15分くらいで設営を済ませた。既刊がなく新刊が一冊だけだと、設営が楽だなあと思うなどした。
これは、会場内に勢いよく入ってくる風のせいで捲れまくり本来の役目をなさなくなったポスターの重しになった磔の🐿️バニア。風が吹くたびつぶらな目をしたこの子がワーッ‼️と宙を舞うので正直面白すぎてどうにかなるかと思った。動画を撮っとけばよかった……。
而して肝心のイベントの感想だが、振り返ってみれば本当に楽しく、有難いものだった。ハマって一週間経たずして申し込んだあのころの自分にお礼を言いたい。ここ数週間確実に寿命を削って作業していた自分の背中を叩きたい。参加してよかった、と心から思える時間だった。
本当にたくさんの方に新刊を手に取ってもらえた。開場前からスペースの前に並んでいの一番にわたしの新刊を買ってくださった方がいた。全部読んでます、応援しています、と拙作には勿体無いくらいの言葉をくださった方がいた。こんなわたしに差し入れをくださった方がいた。一冊も売れないんじゃ……部数がわからないからって多めに刷りすぎたかもしれない……とばくばくしていた心臓と不安を嬉しい意味で裏切られる形で、見本誌までお渡ししてしまう形で会場分用の新刊は完売した。12時前にはノベルティも無配も配り終え、本当の本当に空っぽになった机を見た時に前日までの不安や緊張がやわらかく解されたような気分になった。よかった、と心の底から噛み締めた。一人一人、自分の手で、こちら新刊です、と手渡しで送り出せたことが本当に嬉しかった。この瞬間のために書いていたのかもしれないと、すら思った。(当日朝、🌊📦にて今日はいい日になりますよ、絶対! と背中を押してくれた方にもお礼を言いたい。励まされました、ほんとうに) 大変な混雑の中弊スペースにお越しくださった皆さま、本当にありがとうございました!
イベント後はよかったぁと散々言いながら立って食べれるとても美味しい海鮮丼を食べ、直通販用の梱包素材を買いに銀座へ行きカラオケでイメソンを歌いまくるなどしてから帰宅した。月曜日は有給なので、思うがまま寝ようと片付けもそこそこにまずベッドへダイブした。振り返ってみれば怒涛の一週間だった。忙しく、楽しく、忘れられない一週間でもあった。これだからイベントの参加をやめられない。
ということで、5月のオンリーも出ます! 新刊を出します! 5月は文学フリマもでます! 新刊出します! スパコミは5月5日、文フリは5月19日、どちらもビッグサイトです。よろしくお願いします!