2024年映画鑑賞録 1 『いつかの君にもわかること』

a_waltz_at3pm
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監督・脚本 ウベルト・パゾリーニ

Amazonプライムで字幕版を視聴。95分。

あらすじ:窓拭き清掃員として働く33歳のジョンは若くして不治の病を患い、残された余命はあとわずか。シングルファーザーとして男手ひとつで4歳のマイケルを育ててきた彼は、養子縁組の手続きを行い、息子の“新しい親”を探し始める。理想の家族を求め、何組もの“家族候補”と面会をするが、人生最大の決断を前に進むべき道を見失ってしまう。そんな彼は、献身的なソーシャルワーカーとも出会い、自分の不甲斐なさに押しつぶされそうになりながらも、息子にとって最良の未来を選択しようとするが……。

 とにかく、壁に貼られたシールのひとつや垂れたバニラアイスのしずくなど、そんなほんの細部にまで愛が満ちている話だった。意図的に誂えられている(映画だからそれはそう)だろう画作りも丁寧で、情報量が計算されており見ていてストレスがない。家具、マイケルの身につけている服、与えられたおもちゃ、首筋の燕のタトゥ、いつもいく公園、アイスクリーム、そして会話から伺える人間関係などから、ジョンがどれほどマイケルを愛しているのかひしひしと伝わってくる。赤や青、オレンジといったはっきりとした色味は画面内で適切なアクセントになっており煩わしくなく、寧ろ目立つ色を使って、印象に残すシーンを作り出すのが上手いと感じた。(用いた画像も記憶に残っているシーンのうちの一つだ。)そのおかげでマイケルに対するジョンの声色や言葉遣いの一つ一つ、視線の向け方に指さきの添え方までの愛が損なわれることなく表現されており、集中して鑑賞できた。

 ゆえにこそ、マイケルの家族候補──子供を記号的に捉えている夫婦、子供という存在それ自体(どのような子であるかは関係がない・子供を個でなく自身を飾り立てるアクセサリーの一つとして見ているような)自分の人生に価値を与えるものとしか考えていない夫婦など──が出てくるたびにひどく心が痛む。父親としてマイケルを愛すジョンと養子としてマイケルを受け入れようとする彼らを対照的に見せられれば見せられるほど、見ている側の臓腑まで抉られるようである。交わされる会話も風景も穏やかなはずなのに、ただただ圧倒的な断絶が画面にはある。

 残り僅かな命で決断を迫られる焦燥感と逃げ切れない喪失に立ち向かうジョンは見事な父親であった。作中のセリフでも「死ぬほど誇りなさい」「勇敢な父親」と言われていたけれども、本当にその通りであった。清掃員の給料は知れていて、けして余裕のある生活を送れているわけではない。与えられる娯楽には限りがあり、頻繁にジョンは周囲の親子や子供と自分たちの暮らしを比べてしまう。マイケルに申し訳ないとうつむき気味の視線が語る。マイケルがしていた様を真似て白線の上を上手く歩けなかった時や、苛立ちのあまりソーシャルワーカーに当たってしまう時、それから、積み上げた赤い封筒にこれからのマイケルの人生の岐路の都度残せるようにとメッセージを書いている時のジョンの横顔はあまりに切なかった。街にいるジョンはいつだって後ろめたそうで、後悔の念が滲んでいる。しかしマイケルの前で父親であろうとするジョンの息子への献身的な態度は一貫しており、揺らぐことは一切ない。惜しみない愛情を注ぎ、キスをする。きつく怒鳴ることもない。遊園地に行き、ミラーハウスに入り、アイスクリームを買ってやる。難しい言葉を柔らかく言い換えて、マイケルに教えてやる。ブドウを剥いてやる。端折ることなくジョンからマイケルへの愛情を丁寧に丁寧に見せられるからこそ、あのシンプルなエンディングがどうしようもなくさみしい。ジョンが最後にぎゅっと手を繋ぎ、今後会うことはないとマイケルの表情が見えたシーンで、『いつかの君にもわかること』というタイトルが頭をよぎる。静かに涙を流しながらエンドロールを眺めることのできた映画だった。

@a_waltz_at3pm
自我の置き場(1週間日記・本と映画感想記録)