昨日の続き、でもないんですけど、私は何かを残しておくことが苦手だ。苦手というか、物やデータに執着がない。例えばこのブログやSNSのアカウント、プレイしているゲームのデータが事故で消えたとしても、え?!とはなるかもしれないけど最終的にまた一から始めればいっか〜むしろまた一から始められるんですか?!ラッキ〜になる。もちろん引き継ぎ設定したり消えないための努力は一応するけど...。
事故ではなく、自ら物を手放したり、データを消すこともよくある。写真のデータは躊躇なく消すし、印刷した写真のアルバムもアルバムごと処分したりする(サイコ?!)。服や本を買ってもほとんど着ないし読まないし、それで結局人にあげたり古着屋、古本屋に売ったりする。昔レコードが好きで300枚くらい持ってたけど、ほとんど開封せず、そのうちライフスタイルが変わったから全部売った。レコードプレーヤーもいくつか持ってたけど全部人にあげた。
じゃあそもそも買わなきゃいいじゃん、写真撮らなきゃいいじゃん、っていう話なんですけど、物は買うという行為自体に意味があるし写真は撮る行為に意味があるんだよ!!たぶん!!服とか着もしない高え〜服を買う時が一番テンションあがるし、買ったあとはしばらく所持した後売るか友達にあげます(少数意見)。それはそれとして今着てる服が破れ始めたので早急に着れる服買わないといけないんですけどお...そういう服は全然買う気が起きなくてえ...。
服もレコードも未来の自分のためにどこかに保管しておくという選択肢もあったけど、いつ終わるかも分からない永遠(とき)を暗い冷たい場所で過ごすよりも誰かもっと必要としている人の手元にわたった方が幸せなんじゃないかと思いました。服やレコードが。
人付き合いもそういう傾向があるのかな〜と思いきや小1から仲がいい幼馴染もいるし、物と人は違うのかも(それはそう)。でも来るもの拒まず去るもの追わずではあるので執着はないんだろうな。例えばラインのデータが全部消えたとしても会うべき人にはそのうち会うだろという謎の自信(?)がある。
SNSもブログもその時思いついたことを書いてるだけなのでインスタのストーリーみたいにどんどん消えていくのが理想なんだよな〜。自分では読み返さないし、読み返しても言ってること違いすぎて誰?!ってなりそう。
飽き性だし、たぶんキャパが少ないんだよな。過去の自分まで持ち歩けないよ〜。タイトルは欧米では春に大掃除をするっていうことですけどあんまり内容と関係ないです。