めっちゃ長くなりそう。そんな濃い数日間だった。ぼちぼち書いていく。
#0502
木曜日、土触る系の授業。学校のガーデンをいい感じにする日で、それぞれ作業をする。私は、コンポストを入れる花壇?を作るとこに参加。こういう時、私もここで何かやりたいと思て、何してるの何かできる事ある?と言えるようになったのはわたしの変化。よしよし。
一緒に作業しててね、なんか、すごいなあって何回も思った。簡単な設計図と、正しい長さに切られた木材たちと、必要な道具だけ渡されて、そこからひたすら手を動かしてく。穴掘って、埋めるための土を持ってきて、木をはめ込んで、ネジで止めて、水平になるように測って(それ用の道具をさらっと使いこなしているのはなぜ)、水平じゃなかったらもうちょっと穴掘ったりして。
なんかまじで、すぐ手を動かせるのと、動かし続けられるのがすごい。これはなんなんだろう。まずやってみよう!で、やってみて考えよう!の精神が強いと言う事なのか。それだけじゃないだろうけど、そこもかなりあるよなあと。
最近強く思うのは、災害とか危険な動物が(ほぼ)存在しない国である事って、人格形成、お国柄みたいなところに大きな影響を及ぼしているんだろうなあ、と。日本は(ととても主語を大きくなるけど)、何かを作るとなった時に、どうしても地震台風が来ても大丈夫なように設計を綿密にするし、何か災害が起こることを前提に防災グッズを備えたり、避難訓練したりと、たくさんたくさんリスクに備えるということを日頃から行なってる。
でもデンマークは、その必要がない。少なくとも地震という文脈では。
だから、って繋ぐのはとても安直だけど、でもやっぱり、何かあった時のために、よりも、まずやってみてダメだったらまた考えようの思考がデンマークでは育つんじゃないかなあとか思ったり。そういえばこっちでは避難訓練とかあるんだろうか、ニュージーランドの語学学校は火事に備えた避難訓練一回だけあったな。誰かに聞いてみよう。
なんの話だ。花壇を作ってたんだ。すごいなあと思いつつ、その中で一緒に穴掘ったり木をはめたりネジやったりして楽しかった。2時間以上ずっとやってたなあ。まあまあいいでしょう、という感じで終わってお昼ご飯となる。
そして、友達が通っている別のフォルケを訪ねに出発。友達と言っても、デンマークに到着した日のコペンの宿で出会った日本人の子。友達と言えるほど何も知らない。たまに発動するこういうフッ軽力。バスと電車を乗り継いで3時間くらい。とてもこじんまりした、英語がほぼ共通語のフォルケ。なんかいろいろびっくり。なにがこんなに違うんだろうってくらいぜんぜん違う。40人くらいしかいないらしい。そして半分くらいがインターナショナルだから英語で連絡事項とかもなされるし、授業ももちろん。ひえー。こんな世界があるのか。土曜に大きなパーティがあるらしく、その準備としての紙でお花作るワークショップとか、焚き火に参加させてもらったり。
#0503
授業に参加させてもらう。なんか特別講師の方が来てて、セクシャリティ、ボディーとかそういう授業。デンマークの法律がちょうどその日変わって、中絶できる週が伸びたらしい。先生としては、喜ばしい事として話していた。より考え、迷い、決断するための時間を持てるからと。レイプとかで気づかぬ間に妊娠してて12週を過ぎてしまったというケースで考えると、伸びるのは喜ばしい事かも?でもそれは中絶ができるから喜ばしい事ってこと?とか思ったり。よくわからなかった。
授業自体はとってもおもしろかった。あらゆる事はプラクティスで、みたいな。自分の身体の声を聞いてあげることもプラクティスが必要。誰かに触られる(握手、ハグ、キスとか)ことを受け入れないと失礼になったり、変な空気になってしまったり、いままで受け入れてきたという積み重ねがあるから拒めない、みたいな状況が生活していて色々ある。だから自然と、身体の声が聞こえなくなっちゃう、みたいな。
先生はトランスジェンダーで性被害のサバイバーです、と最初に自己紹介してて。なんかねえ、プロだったなあ。あらゆるワークとかしゃべること、作り出す雰囲気が、先生が大事にしたいことをもとに為されてるんだろうなあと思った。オープンドアポリシーだよ、とか、すごく一人一人に目を合わせながら話す感じとか。
二人組でペアになって、触ってもいいとされていると信じられているところ(まどろっこしい言い方だ)に1人が触って、触られた方はそこから感じる温度、感触、重さとかを「インストール」して、十分だと思ったら手を戻してあげる、みたいなワーク。次は、触られてる方が「インストール」した情報をもとに次はどこにその触りが欲しいかを考え、手を自分で動かす、みたいな。
インストールという言葉がよかった。そして、これは他の人と話しててたしかにと思った事だけど、こんなにも誰かに触られるということを、触るということ単体で感じたことはなかったよね、と。触るというのは、人と人の関係性とか、なんかの意図、想いとかが豊富に含まれている事が多くて。だから、温度、触感、そういうものだけを集中する事ってなかったなーと。たしかにたしかに。
この前のマッサージもそうだったけど、最近のわたしのホットトピックだな。触る事、触られる事による人の気持ちや身体への影響。
あーそうだ。あと思ったのは、インターナショナルな環境で、英語の環境でも、話し合いでめっちゃしゃべってるのはデンマーク人だったな〜。まあたまたまかもしれないけど。ほかの国の人たちよりも、デンマーク人たちがたくさん意見を出していた。
英語で授業が受けられるってなんていいんだとしみじみ。話し手の想いの伝わり方が違うね、だれかの通訳を経由している時と比べて。内容も環境もとってもとってもおもしろくってとってもよかった〜〜〜。
授業のあとは学校にあるハンモックでお昼寝と読書。気になってた本がKindle Unlimitedにあるしあわせ。いい時間だった。
夜ご飯食べて、学校の近くのビーチに夕陽を見にいくとのことで着いてく。ちゃりんこ貸してもらって。こっちではじめてチャリ乗ったかも。デフォの足がみんな長いから、サドルがたかい!でも楽しいな。15分くらい、ゆずの夏色。
石投げて水切りしたり、海に入ってる人いたり、スケッチしてる人いたり、ビール飲んでる人いたり。とても自由でのんびりした時間だった。デンマーク人の子と、フォルケって不思議な時間だよね、と。何を学んだとか資格を得たスキルを伸ばしたとか明確なものはないし、説明は難しいけど、もしかしたら30年後くらいとかにさ、あ〜これはあの時に得たことかもな〜ってふと思うかもしれなくって、そういうのがあるのがフォルケだよね、と。
寒くなって帰ってきて、日本人の子とおしゃべり。デンマークに来た初日に会った子と、5ヶ月くらいそれぞれの時間を過ごした後に、また再会しておしゃべりするの、なんか感慨深いというか、おもしろいね。
話してて思ったのは、こっちの学校に来てた方がきっと私はシンプル楽しい、居心地いいなあと思えてたんだろうなあ。これが自分が思い描いていたフォルケかも・・!って感じはとてもした。まったりのんびりゆったり、おしゃべりしたり、一人でのんびりしたり、なんかそういう時間を、一緒にいる生徒達と共有しながら過ごせた気がする。でも、今の学校にいなかったら、こんなに考えたり、しんどい思いしたり、孤独とかアウェイ感を味わったり、それがあるからこその一瞬のたのしさとかは味わえなかっただろうな~と。まあぜんぶ子の選択でよかったと自分に言い聞かせている説が濃厚だけど。
あと、もうこの学校を知ってしまったからさ、向うの学校には、ここに来れる人、アクセスがある人しか来ていないなあ。似たような人達とは言わないけど、たくさんの種類の人がいるなあとは思わないなあ。という視点で考えていたり。コミュニケーション取るのも、仲良くなるのも、そりゃあ楽だよなあと思ったり。多様性はめんどくさいという言葉を思い出すなど。まあまあ、2日しかいないなかで見えた学校なんて一部でしかないんだろうけど。
違うフォルケを知れたことで、今じぶんがいる場所を見直せた気がしてよかった。よき。
#0504
オーデンセという町に向かう。今日はもうひたすら宿でのんびりしようと思って、自分に贅沢して個室をとる。チェックイン時間にもう宿に入り、読書して昼寝してごはんたべてというとてもしあわせな時間だった。読み終わりたくないと思える本を読めるしあわせ。そして読み終わっちゃったんだよなあ、さみしい。2回目を読んでいる。スーパーでマスカットが安かったので買ってたべる。おいしい。
#0505
チェックアウトぎりぎりまでのんびり。あめ。アジアンスーパーマーケットまで片道で50分くらいあるく。日本食をつくる予定がある。アンデルセンミュージアムに行くかどうかまよい、結局行く。いってよかった。ヘッドフォンからガイドが流れてくる感じで、一人で世界にひたれてとてもよい。でも誰かと来ている人は、共有しながら進めないから、なにか思うのかなとか思う。
アンデルセン童話、みにくいあひるのことか、マッチ売りの少女とか、人魚姫とか。なんとなく知ってる話で、作者の想いとか背景を知って物語を知ると、おーいい話だなあとおもう。みにくいあひるのこ。生まれた場所が自分を受け入れてもらえる場所じゃなかったとしても、探し続ければあるはずさ、みたいな。自分が安心安全な場所は自分で探していい、今いる環境に無理矢理フィットする必要はない、みたいなね。そういうけいのはなしが染みるなあ、こっちに来てから。
あと、めっちゃおおきいおままごとできるブースみたいなのがあって、コスチュームが子供サイズも大人サイズもあって、お父さんたちがコスチュームを着て一緒に遊んでて。なんか、なんでかわかんないけど、めっちゃいいなあ、って思った。うらやましいとかではなく。なんというか、この子たちはこんなに愛を受けてるんだな、とか、この瞬間のことをこの子たちは覚えているのかなあ、とか、、うーんちがうなあ、なんかね、なんて豊かな愛のある空間なんだろうなあと。泣きそうになる、泣かないけど。
あと、絵馬みたいな、自分の願いをかいて!みたいなコーナーがあって、こっちの人はなにを願いに書くんだろうという興味からGoogleレンズでみる。犬が欲しい。一生死なないぶたが欲しい。家族が健康でしあわせでありますように。とか。願いとして書くこと、似てるようなことだなあ~と思ったり。
帰りのバスに向かうとき、駅にはついたけどどこから発車するかわからず、ガンダッシュ。そして人に質問する。こういうときのを火事場の馬鹿力とでもいうのか。さっと聞けるし、あとなんかたぶんだめな柵みたいなのまたいで超えてたし。無事に間に合う。学校に到着。
#0506
げつようび。歌の授業。なんか、近くの学校のティーンエイジャーが学校の見学?に来てて、一緒に歌を歌う。なにを言ってるかはわかんないけど、「おもえがやれよ」「いやいやおまえだろ」みたいなのを永遠といじりあってて、かわいいなあ~見たことあるなあ~と思う。
運転の練習。オートマの車を見つけたので、運転。できる!!!車が大きいのと、右側を走るということだけ気にしたら大丈夫と。運転OKもらった。わーい。うれしい。なにか書類的なの書いたらほんとに運転できるらしい、いえーい。
そしてピザをつくる。生地から。こねこねして、具材乗せて、おいしかったな~~。おしゃべりしながら、料理して、たべて、こういう時間がとてもしあわせ。おいしいたのしい。
#0507
火曜日。学校のプールに入る。車いすに乗っている友達と。すごくうれしい瞬間に一緒にいれた。あ~先生がすごくすごいなあ、すてきだなと思う。彼は支援者だ。だれかのために、というよりは、彼自身がウォータースポーツが大好きで、この楽しさを感じられる人がこの世界に一人でも増えたら自分がうれしい!みたいなモチベーションで、いろんな人と一緒に水に入るんだろうなあ~と想像する。夢が叶ったぜ!!!ととてもうれしそうだった。こういうさ、自分がこうしたいから、という、主語を自分にもてる人。すごく素敵だなあと思うね。主語を自分にしながら他人を巻き込める人、かな。
お昼休み、デンマーク人の子のヘルプを頼まれてて、ごはんとって、小さく切って、エプロンみたいなのかけて、いっしょにおしゃべりしながら食べて、片付けて、という時間。休み時間とは感じられないね。でもたのしい。たのしいだけじゃないけど、いい時間だ。次のセメスターのアシスタントの面接をもうすでに終え、もう決めたらしい。なにを大事に選ぶの?と聞くと、心身ともに安定してる人。その人の気分とかで今日は仕事来ないとなると、ぼくは部屋から出れないし、ベッドからも起き上がれないからね、と。あと、ただ楽しもうってだけでこの学校を選んでない人。と。ほえ~。
あと、彼は生まれた時に酸素が十分になかったとかなんとか、エクササイズしないと悪くなっちゃうんだとかなんとか、左手の方が右手よりもうまく使えるんだとかなとか。自分がいま生きてるのはミラクルなんだよねと言っていて。ほえ~。こういうのをふつうにさらっと話してくれるのは、彼の性格と、この環境と。私が彼と築いてきた関係性もちょっとあると思いたい。
デンマーク人の15人くらいと餃子をつくるかい。この1か月で餃子3回目くらいだ。もう慣れたもんだ、そして今回がいちばんおいしく作れた。人がいっぱいいて疲れたけど、まあ美味しくできたのでよし。あっさり終わったけど、まあたのしかったのでしょう、と。
そしてその後日本人であつまって、セメスター終わったあと旅行行く?みたいな話。話し合いはいつでもむずかしいね。これもプラクティスなんだろうか。車いすに乗ってる人と一緒に旅行するということ(と、一般化はできないけど)は、現実的なもんだい全然簡単じゃないけど、一緒にとっても行きたいなと思う。ぜーんぜん簡単じゃないけど、まず、マニュアルを運転できないというのがとても大きなバリアだ。ひえー。
そしてよる散歩しながら話す。ベンチに寝転がって星を見ながらおしゃべりして、夜食ヌードルをたべ、寝る。ぶる~すぷりんぐ~を感じる。
#0508
すいようび。あたりまえのように最近朝食と朝会をスキップ。朝会でだいじなこと言ってたっぽくて、行かなかったことをちょっと後悔。乗馬する。今日ははじめて外にでれた!うれしい~いい天気だ、なんて平和なんだと思う。
お昼休みに、旅行のこととか、介助の仕事のこととかみんなで話す。なんかさ、当たり前だけどさ、人が違うから、どういう気持ちを持って仕事をしているのかとか、友達である人を介助することの気持ちの持ちようとか、そういうのさ、ぜんぜん違うよなあと。でもそれを話す機会がないと、違うってこともなんか忘れちゃったり。自分がこうだからそうだろうと思ってしまったり。あああ。
旅行をするということもなんか、わたしは簡単に考えすぎてたんだろうなあと。なにを思ってたかなあ。なんか、とりあえずやってみよう!やってみて考えよう!という精神が多いなと思ってたけど、でも、もしかしたら、その精神が生まれるのは、そもそもの基盤とか準備がしっかりしているからなのかなと思った。この学校の中だったら、この学校の先生がいる環境だったら、とか、そういう場所ではとりあえずやってみよう!とできているのかも。だから、私たちだけで遠くにレンタカーで旅行に行こう!っていうのは、学校からも離れるし先生たちという経験者もいないし、そうなるとなんでもとりあえずやってみよう!は通用しないというか、推奨されないのか~とか。うーむ。
だから。って書いてなにを書きたいと思ったのか忘れた。そうだ、だから、この学校で、可能不可能でいうと可能、ということを知識経験として、そしてこの学校を離れたあとになにかをやりたいと思った時に、可能であると信じて、いろんな準備をしてそれを実現する、みたいな感じになるのかなとか思ったり。思ったり。
そろそろ長くなってきているからもうこの辺にしよう。おわり。