#0413
土曜日。よくねて、たべて、だらだらして、まじでなんもしてない。ずっとkindleみてた。何時間もずっと見てて、目が痛くならないのまじですごいなあ。特殊なディスプレイ。買ってよかった。サブスクで読める漫画をさらさら詠むのがよい。こんなふうに、なにもせずに過ごす日々に前よりずっとずっと罪悪感的な、焦燥感的なのをかんじなくなった。いいことだと思ってる。
別の修学旅行にいった日本人の人が、「この学校ではevery thing is possibleって車いすに乗ってる生徒が言ってたのを覚えてるけど、この修学旅行では自分にとってはimpossibleになる瞬間が結構あった。車いすに乗ってる人と街を歩くと、段差とか、お店内の狭さとかで入れない所が結構あって、(その人が)入りたいと思ってた所に入れなかった」と。いろいろ考えることがたくさんあったって話してて、なるほどなあ~とおもう。だれかにとってpossibleになってる場面で、だれかにとってはimpossibleになってるとかあるよなあ。多様性はめんどくさい、という言葉が思い浮かぶ。どこの言葉だったっけな『ぼくイエ』か、朝井リョウさんのなにかの本か。これでかんぺきみんなにとってpossible!なんて絶対的な、どこでもなんでも解決できるような回答はなくって、そのときそのときで一個一個みつけていくしかないんだろうなあ。そのための、自己主張というか、自分はこうしたい、自分にとってはこれがいい、を伝え、それが自分と違うものだとしても聞き、受け止め、じゃあどうする?を話し合って、やってみて、違ったらほかの方法をやってみて、、というのを繰り返す、というのしかないんだろうなあ。そのめんどくささを継続して可能にしてるのは、ユーモアも一つの要素なんだろうなあとも思う。って最近考える。真剣100%でやりすぎると、ちょっと継続性をかんがえたときに持たなそう。持続可能性って、やつか。
デンマーク人の一人が、この学校について、いまだになんでいろんなことがこの学校でこんなに可能になってるのかわかんないよね笑、ってはなしてて、ほんとそうだよなあ、とおもう。
#0414
日本人のひとりの誕生日。ケーキを焼いて、おかしを盛り付けて、飲み物を持って、そとでピクニック。とてもよき。おかしを食べすぎ、よるさんぽにいき、いま。今日はなんかいい日だった。気持ち的に。内容的にも。
誕生日の過ごしかたを話してる時、去年何してた?で、ふつうに仕事してたなあ、って言ったら、大学生の子から「え、誕生日に働くの!?」って驚かれて、とても驚く。その子は誕生日は有休をとって自分で祝う予定らしい。なるほどなあ。誕生日とか自分が年を取ることとかに対するそもそもの意識の違いはあれど、あの驚かれ方は驚いた。誕生日に対する意識か。そういえばわたしもNZで誕生日が2回あって、だれか祝ってくれる人がいるだろうかがとても不安だったのを覚えてる、それだけ誕生日が大事で、誕生日をたくさんの人に祝われることがとても大事だったんだよなあ、ほかにもいろんな気持ちがあったなあ、と思いだす。いまはまったくそんなことおもわない。今年の誕生日、どこにいるか分からないけど、だれか一緒にすごして一緒に祝ってくれる人がいなかったらどうしよう・・とはまったく不安にならない。何の変化なんでしょう。あきらめ、期待が下がった、肩の荷がおりて楽になったとも言える。けど、なにかを失っている気もする。うーむ。
あしたからまた日常。