ペタゴーの資格を持ってる人にいろいろインタビューさせてもらった。それがもうめちゃめちゃに良い時間だった。2時間くらい話してて、あっという間だった。いろいろ知ったことはあるけど、染みたところを書き残しておこう。
ペタゴーには主に3種類あって、①幼稚園で働く人、②ひろく学校ではたらく人、そして③精神疾患とかがある大人と働く人。今日話をきいた彼女は、③を専攻としてる。なんで③を選んだかというと、他の①②よりももっと広くの人と関われたり、ひろくいろいろなことができそうと思ったから。
今日はなしをきいて私が捉えたのは、③のペタゴーの仕事は、日本で言うところのデイケアとかグループホーム、相談室のスタッフと近しいことをやってる気がする。
②は、そうだなあ、めっちゃ一例たけど、たとえばペタゴーと科目担当の先生のコミュニケーションで起こり得るのは、「この子は20人以上のクラスは大規模すぎるから、もうちょっと少人数のクラスの方が安心して勉強できると思うよ」とか「この子は学び方として、書くよりも見たり聞いたりした方が理解が進むと思うから、こういう教え方の方が良いと思うよ」とか。そういう、この子にとって理解のすすみやすい教育方法とはなにか、をペタゴーは見てて、それを科目担当の先生と一緒に考えていくことが仕事らしい。ペタゴーも先生たちも大事にしている考え方としてあるのは、「自分がこのクラスに属している。一員として存在できている」という感覚をもってからしか、何かを学ぶことは始まらない、ということらしい。心理的安全性、って言葉でも説明できるのかなあ。いやすげえな。
ペタゴーになるためには、3年半かかる。その3年半は、学校で勉強する時期、実習の時期があって、全期間のうち1年半くらいは実習してる。彼女は3回実習に行ってて、ぜんぶ違う場所に行ってる。そのなかの最後にいった場所が、精神障害(知的もなのかなあ)をもった大人たちが暮らしている場所。彼らは働くとかはしてなくて、そこで暮らしている。日本でいうところの、入所施設みたいなかんじなのかな。それかグループホームみたいな。私の知ってるグループホームよりは、もうちょっと色んな交流がありそう。
そこで、たとえばお買い物の同行とか、普段の生活を一緒に過ごしたり、社会的つながりとなるなにかをしたりとか(ここを具体的に聞けなかったなあ…)。
ペタゴーになるには、なにが大切だと思う?ときいたら(good questionって言ってくれた、うれしい)、
利用者の方との関係性を築いたり、なにかの関わりをしたり、そういう時に自分自身を使っていることを意識する事。その自分自身は、今までの自分の経験とかから作られているものだから、自分を使って相手と関わっていることを忘れない事
利用者ひとりひとりの成育歴とか、疾患名とか、そういのぜーーーんぶ書いてある記録はあるけど、それをぜーんぶ読んでその人を知ろうとするんじゃなくって、自分がその人と関わって、知ろうとすること。その文書は、誰かが誰かの目線で書いたものだから。もちろん必要な時にはちゃんと読むけど。自分が自分として目の前の人と関わる事
人は相手を嫌な気持ちにさせようとしてその行動をしているわけではなく、なにか理由があるはず、って信じてる。だから、たとえばその人が昨日はできたのに、今日は外出前にぜんぜん靴を履いてくれない、みたいな時に、自分が感じるイライラを、そのまま目の前の人によるものにしない(みたいな事を言ってたと捉えてたけど、こうやって書いてると分からなくなってきたな…)
目の前の人は、同じ人だとしても昨日と今日はきっと違う人でもあるから、今日はどんな感じだろうなとか、今はどんな感じだろうな、というのをよくみて、今日はいつもよりも少しだけサポートを厚くしてみたり、逆もしかりで、そうのも大事にしてたかも
私が、私はねって、その人がやろうとしている事を、自分が自分の目線で判断したり、なにかその人が失敗ともいえる選択をしようとしてるときに、それを回避するためにわたしがアドバイス的なことはしないようにしてたよ、って話した。そしたら、それもわかる。たとえ自分が何かのやり方を知っていたとしても、それをすぐに伝えたりすることも違うよね、って。patient(日本語でなんだ・・忍耐強さ、みたいな?)も大事だよねえ、ってはなした。
ペタゴーとして働いててたのしいなあ、よかったなあ、ってどんな時に感じる?と聞いたら、日々の小さな出来事だなあ、って。小さな変化が見られたり、目の前の人と楽しい時間を共有できたり、そういう時かなあって。
めっちゃいいはなしや。そしてなんか、わかるなあ、って思うことがあったのがうれしかった。同じ感覚を持ててるのがうれしいってのもきっとあるし、なんか、こういう話をできるのがとてもうれしい。なんか、わたしが思ったことがあること達を、彼女(デンマーク人で、英語をしゃべる人)から聞いたのが、とても新鮮で、でもなんか身近で、不思議な、良い経験だった。彼女と私の人生のなにかが一ミリでも違ったら、どこかの国で一緒にはたらくという世界線もあったんだろうなあ~それはたのしそうだな~とか一瞬思った。
そのあとは、デンマークのインクルーシブ教育の話。2013年頃に、なにかの法律ができて、特別支援学校と”普通”学校を一緒にします、分けません、という変化が起きた。この真の目的は、コスト削減。特別支援学校を運営するためには、ペタゴーとか、そのほかいろんな支援者のお給料とかいろいろコストがかかるから、学校をぜんぶ一つにしちゃうことでそれらを減らしたかった。
でも、この政策は失敗で、いまは再度分けられている。なんで失敗かというと、いわゆる障がい児たちが、”普通”学校のクラスで「自分はこのクラスの、学校の一員として存在してる」という感覚を持つのがとても難しく、かつ、”普通”学校での教え方だと、彼らの理解の仕方とは合わないものだったという事が起きたりしたから。彼女も分けた方が良いと思う、って思ってるって。
わたしが、日本では基本的には分けられているなあ。でもその問題は、お互いが子供時代に関わる機会がなくって、はじめて出会うのが大人になってからだったりするんだよね。で、たとえば会社で出会ったときに、お互いに、特に”普通”学校を出てる人たちの方が、どうやって関わったらいいかとか、どうやってチームになっていけばいいか分からなかったりして。一緒に働くのが、一緒に社会で生きていくのが難しい、みたいな、そういう問題が起きてると思うんだよね、って話してみた。
そしたら彼女は「It's a good point」ていうてくれて、うれしい。それはデンマークでもあると思うよ、って言ってた(気がする)。その問題はどうしてるんだろうなあ。
今日は、テーマもテーマだし、わたしがばちばちに関心があるところだったから、言えるところは意見を言ってみた。そしたら、なんか、そこから始まる話もあるし、分るよ、って言ってくれたり、なんか、ちゃんと、この場にわたしはいれたな~って感覚がある。ほんの1ミリとかでも、ギブができたような気もする。うれしい。I think からぜんぜん英語が出てこないし、もっと言いたいことがあるのに5割くらいしか表現できないみたいな場面もいっぱいあったけど。言ってみるもんだなあ。発言してみるもんだな、ってすごく思った。
これはとても勝手な想像だけど、彼女の話しやすさとか、やさしさとか、フラットな感じとか、そういうのはペタゴー的な人格からきているのかな~って思ったり。わたしの英語を待ってくれるし、想像しながらくみ取ってくれるし、とてもね、なんかね、ありがたい。すてきなひとだ。もっと仲良くなりたい。
そのうれしさをしみじみ噛みしめながら、さんぽ。夕日がきれい。2時間くらい歩いてた。このまえの森の中の授業を経て、森に入ってみた。いまは冬の森って感じで葉っぱがないけど、これがどう変化していくのか定点観察したい。けど、定点観察するならもうちょっと良く見える昼間に撮った方がよかったなとも思ったり。
たのしいー!!居心地いいな~~!!っていう日々では、いまも全くないけれど、けど、ちょっとずつよいなあと思える時間が増えてるのも事実。もうちょっと色んなことにフッ軽でいきたいな。あしたから月曜日。隣に座った人に自分から話しかける、スモールトークってやつをがんばってみたいな。おわり!