忘れないうちにしっかりと。書き綴る。
中谷さんのガイドを受けれてほんとうによかった。ただ過去の事実の説明だけでなく、たくさんの問いを投げかけて残してくれる3時間だった
ヒトラーの話が出てきたのは1回だけ。ヒトラーがいかに凶悪な人だったかという話をしてしまうと、それはもうヒトラーがいないから大丈夫という話にもなってしまう。でもそういう話では全くなく。ヒトラーではなく、あの、ホロコーストを可能にした社会とはなんだったのかの話
アウシュビッツが急に空から降ってきたのではない、という言葉。
必要条件が揃ってしまえば、いつどこででも再び起きてしまうんだろうなと
必要条件が揃っているうちは、揃ってるな〜という感覚はたぶんほぼなく、知らない間に、ちょっとずつ、揃っていってしまう
必要条件とは、たとえば偏見とか、貧困とか、混乱とか、。余裕がないとき、誰かがあいつが敵だ!みんなで勝ってすごい未来を作るぞ!と夢を見させてくれる人がいたら、思考停止でついて行きたくなっちゃう感じとか
中谷さんのガイドがすごかったのは、収容所内の構造(囚人同士が仲間になって反乱を起こさないように、お互いに敵対し合うような仕組み)を説明した時、例えば日本のコロナ禍で〜とか。囚人を使った人体実験の話をした時、例えば日本のコロナワクチンは〜とか、身の回りにある似たような構造のできごとの話をしてくれる所。
過去の、他人のできごとじゃあ全然ないんだなと思わされる
人権教育のはじまりはここなんだって
私たちはここから学ばなきゃいけないと、だからヨーロッパのあらゆる学校から修学旅行でここを訪れるらしい
ヨーロッパでの教育の仕方も、ヒトラーを選んだのは市民たちで、仕組みが整えば人間はこういうことさえ成してしまう。そういうことを歴史として教えてるらしい
デンマークの人はどうやって学んできたのか、学校に戻ったら聞いてみよう
ナチスがやりたかったのは要は、優秀な人種だけを残すこと。アーリア人。だから、障害者もユダヤ人と同じく虐殺の対象に
優生学的な思想とでもいうのだろうか。優秀な人だけが残ればいいよね、っていう言葉はさ、まじで何も考えずモラルも何もなく言ってしまえば、たしかにそうかも、って思えちゃう私がいる
でも、何も考えずにはもういられないくらいいろんな人と会って見て聞いて話して経験してきて、そんなわけないと反論できる私もいる
そもそもなにをもって優秀とするんだと。ひとつのものさしだけで決められた優秀だけが生存してたら、何かあった時一瞬で絶滅するぞと。これは人間だけじゃなくて森の生態系とかの話も同じかもだけど。優秀という言葉を使うならば、いろんなものさしではかれる、いろんな優秀が存在してる必要がある
そうだな、なにをもって優秀とするかだな。そして優秀なんて決められないし決めなくていいじゃんと、優秀か否かを決める事ができる人なんてこの世にいるのかと思う
あとは何を思ったかなー。
そう、これが解放されたのがさ79年前なんだと。たった79年前と感じました
ユダヤ人(イスラエルの国境掲げてた)をもった人たちも来てて、彼らはなにを感じるんだろう
相手の歴史を知らずにただ何かを伝えても、何も伝わらないよねと。なるほどたしかにってなる事は難しいけど、せめてお互いに聞く耳を持ち合うためにも、歴史を知って話すことが大事、と
この歴史というのは、背景という言葉にもなるのかな。相手の背景を想像して話すことが大事、みたいな
ヨーロッパでは、傍観者にならないように、ということを大事に歴史教育が為されてるらしい。傍観者にならず、自分で判断するための知識をつける教育、みたいな
受けてきた教育が違うんだろうな〜とデンマーク人と過ごしてずっと思ってたけど、やっぱりこういう風に違いがあるんだなあ、と改めて思う
意見がないことも意見のひとつ、って思ってきてたけど、ほんとにそれでいいのかなって思ってきた。意見がない、で許されているのは私が持ってる特権のひとつなんだろな。すべての分野じゃないけど
中谷さん、まじでちょっとお茶目なふつうのおじさん、って感じで、またそれが良かった。そんな中谷さんが、さらっと心に刺さることを言ってきてて。これがめっちゃ博士みたいな人だったら、もっと説教されてるような気持ちで聞いてたかも。あの雰囲気は意図的に作られたものなのだろうか
アカデミー賞のなんとか賞を取った、関心領域。アウシュビッツ収容所の所長の家族の話。ガス室のすぐ横にお家があった。見たいな。でも日本語でみたいな
うん、そんな感じ。また10年後くらいに来たいかも。来れてよかった。中谷さんのガイドを受けれてよかった。思い出したことがあったらまた書いていこうかな。
昨日途中まで書いて、いま追加した記録。