嘘つきらしい。わたしは、嘘つき。ふふ。
うそってなんだろう、と考えていた。何気ないことばに、どれくらい本当と嘘が混じっているんだろう。わからない。
うそつきだ、と人に責められるということは、悪い気持ちが、あったんだろうか。だまそうと思って、わたしは今日も嘘をついているんだろうか。わからない。
うそと同じように、本当のことも、言ってはいけない、そんな瞬間がある。本当を、受け止める必要なんて生きててほとんどない。本当を求めてるわけではない。
うそをつくのと同じように、ほんとをつくのは、危ないことだ。
うそをつかないように、ほんとのことを言わないように、人とつながっていく。楽しい。
うそとほんとがわからない。こんなことを思っていて、発見したことがある。
何がほんとかはっきりしないものは、「もうこれがほんと!」ってしちゃっても、確かめようがないのである。
私は、人見知りだと思っていた。でも、人見知りじゃなくなりたい。なら、人見知りじゃない。と決めればいい。
もちろん、人前で手が震える事実は変わらない。けど、人見知りじゃないのに、なぜか手が震える。おかしい。なら、何か緊張する理由があるのかも知れない。尊敬する人がいるから?前髪が変?準備不足?
「人見知り」という与えられた不変不動の石で諦めていた何かを、ガーンとかち割って向き合うことができる。気がする。
この話は、意外と、決めちゃっていいものってあるんじゃないか。って話だ。この構文は、いろんなものに当てはめれる。
私には「自信がある」と決める。
私は「幸せ」だと決める。
私は「愛する」と決める。
みなぎる自信も、幸せも、愛する人も、いつか待ってたら来るもんだと思ってた。それがどんな状態なのかもよく分からないまま。
もしかしたら、それは今、自分の意思で決めれることなのかも知れない。
これって、すごいと思った。こう思うと、うそつきって、一つの能力だと思えてくる。
人生って、自分の思うように塗り替えて、思うように舵をとっていいんだ。
もちろんその分、現実やほんとを、頭の違うところで捉えてバランスを取らないといけない。でも、どうしようもない現実に諦めたくなったとき、うそをついてもいいんだと思えるだけで、楽になる気がする。
都合のいい、身の程知らず、頭でっかち、自惚れ、この辺を少し目指すくらいでも、いいんじゃないか。
これを、私は火星で生まれたことにしよう、みたいなうそにすると、おそらく問題が起きる。大事なのは、確かめられないことに当てはめることかも知れない。
piconで一緒にものづくりをしていて、自分らしさだと思って足がかりにしていたものがズコーって消えていったことがあった。私よりも机が汚い人って、いるんだ、とか。私よりもデザインできるひとがいて、どうしたらいいんだろうって。
でも、もうここでがんばりたいって思ってしまっている。なら、自信を持つって決めよう。辛くても、前に進み続けると決める。みんなを信じるって決めよう。成功するって決めよう。そう思ったら、毎日起きるのが楽しみになった。
なんか大層だけど、勇者ヒンメルならそうした。って話でした。
(これまでうそをついて傷つけてしまった人、ごめんなさい。誠実に、なりたいとほんとに思っています。力不足でご迷惑かけた方もすみませんでした。がんばります)