コネド愛好クラブ

abcmisuzu
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これってあれと似てるよね!と言うと大体よく分からない顔をされる。

全然似ていないっぽい。

さらには、すごく怒られることがある。瞬発的に「いやどこが?」と突き返される。

もう少し、思いを馳せてもよくないですか..!と、モゾモゾ思ってしまう。わたしは、「似ているものを見つけること」がすごく気持ちいい。生きがいとまでに思っているからだ。

今まで繋がっていなかったものが繋がったとき、すごく興奮する。目を閉じて噛み締める。染み渡る。多分ニヤニヤしてる。

『connecting the dots』というスティーブ・ジョブズの有名な言葉がある。この言葉は、過去の出来事をつなげてストーリーを作っていく、という文脈で使われていたけど、私は「これってもしやあれじゃん..!?」となった時に

「コネドってるな〜これ〜」

みたいに使わせてもらっている。みんなのコネドみリストを見せ合う飲み会をやりたい。コネドみSNS作りたい。


そもそも、物心ついた時から、大きな声では言えない感覚があった。

世界は一つだ。という感覚。スピ界ではワンネスというらしい。

私はこれをなぜか履修していて、心の底から、世界は一つだと納得している。これがどういう感覚かというと、「お前はカエルだ」と言われても、「確かに」となる。もちろん「JavaとJavaScriptは同じ」と言われても「そうだよね」となる。

よく、宇宙から見たら地球は人が大雪原を見てる時のように見えるんじゃないか、とも考える。雪の結晶はそれぞれ個性があるけど、人からしたら重要じゃない。だからただ雪が降り積もっているだけだと捉える。こんな感じで、広い目で見れば、似ていないものはないなぁで大体着地する。

面白いのが、このコネドみ度、人や時によって全然違う。

現実的だったり、こうであってほしいと言う願望があったり。優劣の基準を持っていたり。そんな時は、似ていてたまるか!と反射的に遮断したくなる。

すごく面白い観点だけど、何かを「似ている」とするのはそんなリスキーさをはらんでいる。


言語学では、全てのものは「〜でしかない」としか定義できないとされているらしい。フランスでは蛾も蝶も同じ単語。でも日本では全然違う。そんな感じで、言葉は人の大事なものを区別しているだけなのでは、という。

言葉がなければ、概念的には全部一緒だとしたら、赤ちゃんはどれくらい世界と一体なんだろう。

大人になって分別を知るにつれ、世界が分断されるようになる。解像度が高くなるとも言えるけど、孤独を知るとも言える。柔軟さや複雑さを失っていくとも言える。、、、赤ちゃんに戻りたくなってきた。。

この一体感って、全ての人がつながる唯一の方法なんじゃないか、と思う。

自分ごとに思えることが広がっていけば、なんだかほんわかしそうじゃないですか?

寝る前に世界から浮き出てしまったとき、すこし赤ちゃんのふりをしてみると、溶け込む感覚があるかもしれません。

じんわ〜り。

私とそっくりなあなたへ、何か届けばいいなと思いながら書きました。

終わりです。