京極堂『邪魅の雫』を読んだらなんだか大鷹篤志に並々ならぬ想いが出来てしまった

achamoth
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昭和28年、大磯連続毒殺事件と探偵・榎木津礼二郎の縁談連続破談騒ぎの関係性とは?

という感じのお話なんだけれども、わたしは元刑事・大鷹篤志に並々ならぬ感情を持ってしまった。

大鷹は愚か者である。どれぐらい愚かかと言えば、主人公の一人として描写の主人格に選ばれながらも、その内面はあまりにも読者と剥離した思考であるがために……いや、何も考えてない渾沌が渦巻いているがために……物語を描写できないので三人称視点で描写されているレベルだ。

彼が見て感じたことは、神の視点で注役を入れなければ理解できない。そしてその思考の飛躍の仕方や渾沌具合は……令和の今見れば、明らかに発達障害なのであった。

Twitterでふらふらとしていれば

いや、プログラマーとしてその界隈と交流していれば

そう言った特性を持った人とはいとも簡単に出会える。そして、大鷹がそうであるように、常人が思っていることとは違うことを言ったり……常人が出来ることが全然出来なかったり……する。そしてそれは、少なくともプログラマーの界隈の中では特性と呼ばれるモノである。確かに出来ないが、それは大したことではない。いくらでも補い方法はあるし、何よりプログラマーはプログラムが書ければいいのであって昼の12時から出社してもかまわない(会社もある)のだ。

しかし昭和28年では、いいや、17年前では、それは愚か者であった。莫迦だった。きっと今だって、プログラマーの世間から抜けて父だの、前職のOLたちに話を聞けば、そういう感じの人はやっぱり莫迦だと言うに違いないのだった。だから、大鷹の言動について三人称の神の視点は、彼は莫迦であるから、愚かだから、何も考えてないから、とあらゆる罵倒を伴って物語を補足していた。

執筆時期17年前では、作中時代昭和28年では、仕方がないとはいえ少しがっかりした。うつ病の関口くんのことはあんなに寄り添って病を描写していたのになぁ……でも、大鷹は別に作中で発達障害とも言われてないしなぁ、昭和28年の段階でそう言ったことがわかるわけないからしょうがないが……と思っていたところ

京極堂が黒衣で現れて、様々な事実を詳らかにし、その中で大鷹篤志について折に触れ、彼は莫迦でした、と語った。

京極堂もそう言うのか…………

しょんぼりして読んでいると、でも

だからと言って悪人ではないと

社会との関わりと持とうと頑張っていたと、黒衣の男は言った。

莫迦だ、愚かだ、というのは……大鷹篤志の様々な言動の結果を言うのであれば、それは紛れもなくそうである。結局その時代、工夫も何もないのだからそうならざるおえない。まだ彼の特性は発見されていない。人に迷惑をかけたり、不快な思いをさせたのは事実である。

しかし、人に迷惑をかけて不快な思いをさせたが悪人ではないのだ。

悪とは、そう言うことを言うのではないのだと……

邪悪の……邪魅の意味を知った。

彼は邪悪ではない。そう言ってくれて良かったなぁ、と思った。