座敷牢に住まう老人の伸びた爪を切る少年の話

achamoth
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わたしの父の思い出話である。

父が勉強部屋を宛がわれた頃、というから昭和30年前後のことだ。その部屋は実家の離れにあった。

離れを作ったのは父の祖父……わたしの曽祖父で、戦前の最新西洋建築を凝らした豪勢な建物であった。少年であった父の目には、細やかな装飾や豪奢な柱などは随分立派に見えた。しかし、そうは言っても戦前の建物であるから水回りは一切ない。暮らすことには不向きだから、長く放置されていた。

そう、子供の勉強部屋ぐらいにしかならない、無駄な建物だった。そこにある日、長らく不在だった曽祖父が転がり込んできた。

なぜ不在だったのかといえば芸者の家で暮らしていたからだった。日清日露、第二次世界大戦と兵隊服を作ることで財を成した曽祖父であったが道楽者でもあった。女をあちこちに囲い、博打に明け暮れた。曽祖父の娘の婿(つまりわたしの祖父だが)は学者肌でシルクロードの研究をし、登山を愛し、塾を経営するような人だったからまぁ合わない。それで、曽祖父は本家に寄りつかずに妾家で暮らしていたというわけだった。

しかしまぁ、そんな生活をして長く持つものではない。戦争がもたらした富は戦争の無い世の中になったら消えていく一方で、ついには素寒貧になり芸者に捨てられたのだ。おめおめと帰って来た曽祖父の居場所は、生活には向かない離れにしかなかった。戦後の御世に水回りもない部屋に閉じ込められて、朝昼夕、御膳だけが運ばれてくる。

まるで座敷牢だ。父の勉強部屋の隣は、老人が住まう座敷牢だったのだ。

だけど、父は怖くなかった。むしろ、この破天荒な祖父に親近感さえ抱いていた。父の父(つまりわたしの祖父だが)は塾経営が忙しく、歴史研究に登山と趣味も多彩だから時間がなくて、子供たちにあまり構わなかった。その癖、学者の子が県下一の学校にいけないでどうする、と勉強だけは厳しくしてきた。

兄弟仲は悪く、兄は弟たち2人にいつも威張り散らしていた。下の弟は腑抜けだったが要領が良いから、兄や父に叱られるのはいつも俺だ。

母は男3人の子を持って、塾経営もあるし家のこともあるし大忙しで、俺ひとりにかまってられなかった。

だれも俺の話を聞かない。

父はともかく寂しかったのである。勉強部屋で過ごすことが多くなった。母屋にいても家族のだれかに叱られるばかりだ。

すると、祖父が呼ぶ。爪を切ってくれ……

脳卒中を一度起こした祖父は、半身マヒで右掌は硬直し、したくもないのにずっと握りこぶしを作っていた。その内爪が伸びてきて、てのひらに突き刺さる。血がにじむ。痛い。

爪を……爪を切ってくれ……

祖父は、御膳を運んでくる娘ではなく隣に居る孫を呼んだ。呼ばれると父は祖父の部屋に行って、閉じている右掌を開いてやる。そして、爪を切る。

その時間が父は好きだった。

曽祖父は確かにろくでもないことをして、天誅のように財を喪い体を壊し、独り寂しく座敷牢のような場所で死んでいった。

しかし、父にとっては唯一、自分を見てくれた家族だった。

その後、父は実家を出奔し、曽祖父のようにろくでもない人生を送るが、それはまた別の話だ。