ビットサミットに行った。
7月19日金曜日のビジネスデー。早起きしてみやこめっせに向かうと時間が余ったので平安神宮に寄った。ちょうど午前の雅楽奉納の時間だったらしく、平安当時の格好をした巫女と宮司がぞろぞろと本殿へと向かっていた。

午前9時だというのに気温はすでに30度を超え、真っ白い平安神宮の砂は陽光照り返して砂漠のように思えた。それでも厚着であるはずの彼らの姿に、風流な涼を感じて思わず本殿に赴くと、いよいよ雅楽が始まって、本殿内部の影と吹き抜ける風、風情のある音色はなんとも涼しげで長く聞いていても苦ではなかった。
しかしわたしはこの左京の地に中世に思いを馳せに来たわけではない。むしろ未来の作品を見にきたのだ。パァ〜フォ〜と響く笙ではなくピコピコ鳴るコンピューターに用がある。奉納を見届けて(最後まで見たんかい)みやこめっせまで行くとさっそく会場はピコピコしていた。

開場時間10時に入りそのまま17時まで入り浸っても、考えていた触りたいゲームの半分も回れなかった。代わりにまだ見ぬ知らないゲームに出会えたりして、どんなヴィジュアルやゲーム性に自分が惹かれるのか、鑑みることも出来た。
それにしても暑い。歩き疲れた。リモートワークの出不精には辛い。

そんな中始まったアフターパーティーは開始当初こそ人でごった返して焦燥に巻かれたが、ゆかりあるブースに酒を持って居着くといろんな人が訪れて、思ってた以上にいろいろ話すことが出来た。
ゲーム展示ブースで酒を飲むとはなんて背徳な行為だろうか。こぼすのだけはしてはいけないと緊張する傍ら、イケてるゲーム音楽DJはガンガンにディスクを回していて、なんだか洋画の世界に迷い込んだようだ。『さらば青春の光』では夜毎にモッズの少年がパーティーに繰り出す。今も音楽が鳴り響いていて中央ステージでは人がごった返していて、それはモッズのホームパーティーのようだ。人混みが苦手なわたしには、楽しそうには思えなかった……が、人混みを眺めながらブースで飲むのは悪くない。
二次会では友人と約束していた木屋町通のバーに繰り出したがそこでもパーティーをやっていて人がごった返していた。注文も通せず座るのもままならないので店を出て彷徨うと、三条大橋に行きましょうと言われた。
ビットサミットの夜は、関係者や外国人が三条大橋に行って飲み明かすんですよ……
まるで語り継がれた伝説のように聞かされた話だった。わたしにとって、三条大橋の飲み会と五条大橋の牛若丸と弁慶の邂逅は、同じ分類として脳に仕舞われていた。今から行くんですか?そこに?
鴨川……

京都で1番好きな場所は鴨川だ。
歴史も好きだし民俗学も好きだ。涎ものの神社仏閣がひしめき合う京都で、1番美しいと思ったのは鴨川であった。なんせ、今も生きている。人の営みがそこにあり、鴨が泳いでいる。カップルからおじいさんまで鴨川で皆過ごすのだ。
それにしても川辺で飲むというのは、京都でしか聞かない。川床に涼納床、鴨川デルタの京大生らんちき騒ぎ、そして三条大橋の飲み会。
なぜ、みな川辺で飲みたがるのか。東京にも屋形船とかはあるけれど、それは昔あったものを今に合わせている感じがして生きているというものじゃない気がする。そんなパフォーマンス的なものじゃなく、洗濯物を干すかの如くの日常さで、鴨川で飲むのだ。
それは、本当なんですか?
半信半疑で三条大橋に辿り着くと、果たしてそこは人でごった返していた。

パフォーマーが大道芸をやっている。
ビットサミットの関係者や外国人が飲み明かしているんですよ……
どころではない、金曜の夜、高瀬川沿いの繁華街で飲み明かした老若男女が最後の地として三条大橋を選び集っていた。パフォーマーが演技し人だかりが出来てもなおゆとりある岸辺は、川に近寄ると風が常に吹き抜けて、こんなに人がいるのに川を見れば視界は開けて、月は煌々と輝いていた。

真夏、満月が近い夜だった。
夜になっても気温は30℃を下らず、暑くて歩き疲れて人混みに辟易したハードな夜に、河辺に人が集まる理由を察した。
夏は夜。月のころはさらなり。
あの満月は、この川の涼しさは、平安神宮が本当に機能していたその時から変わっていないのだろうか?
ピコピコ鳴るコンピューターが作る未来のゲームの関係者が集うと聞いて三条大橋にやってきたのに、笙の音色が似合う中世に、思いを馳せてしまった。