
弊社の感謝祭に参加するべく京都旅行に行ったのだけどもその翌々日小松にいた。せっかく関西方面に来たのだから、そのまま日本縦断して北陸石川県、小松の名店YArnに行こうという計画が勃発。どういうことやねん。
そんな縮地みてぇなことをしてまで訪れたこの店は、さる4月に知り合い友人数名が訪れており、あまりの楽しさにクリエイターなら一度は体験するべし、ゲーム会社の社員旅行先はここに決まりと感銘の嵐をもたらしたというやばい場所である。その感動が忘れられなかった友人はさっそく再訪を決め、わたしを誘ってくれたというわけだった。
レストランである。そして感想が『楽しい』。普通は『美味い』とか『とろける』とか食に関する感想が出るべき場所なのに、楽しいとはどういうことか。いったい何をされるというのか。
写真撮影基本禁止というSNS時代に中指立ててるロックな店で、どんな料理が出るのかも分からない。店に乗せていってくれたタクシーの運転手も「その店は、迎えによく行きますけど、中には絶対に入れなくて内装さえわからないんですよ」と言う始末。謎だ。謎すぎる。この大インスタグラムでお料理メニューバズり狙い時代の中、こんな秘匿を続ける店があるのか。
もはや前情報だけでお腹いっぱい。否応にも高まる期待。なんか分からんけど緊張してきた。着いた店は写真の通り、窓は天窓のみで中が覗き見えることもなく、レストランという雰囲気もない。それもそのはずで、古い紡糸工場を改装して建った店だという。
時間になり、開かれる扉。

原則写真撮影禁止なのだが、今年から導入されたガチャシステムにより当たりの品数だけ撮影することができ、我々は3品の撮影権を手に入れた。
それでも全10品以上に及ぶコースだから全貌の半分にも満たない。しばらく、わたしと友人VS店のサシ状態。これがいい。今まで、如何に我々が撮影や映えに囚われていたものか。驚きの料理が目の前に現れたときの感動を、全力でツレと共有する至福のエンターテイメント。
そう!驚きの料理だった!創意工夫に溢れ、それなのに奇を衒わない素朴な味、しっかり美味くてペアリングされた酒との相性もサイコー。それは前提として、料理が美味いのはもう当たり前で、そのほかの事柄がもうすごい。あらゆるところにお客様を、驚かせたい、喜んで欲しい、『おもてなし』なんていう言葉では言い表せない、そう、体験が、演出があった。
そこはYArnという世界観があった。内装、覗き見える厨房、食器に使い捨てのペーパー一枚に至るまで店のブランドが、世界観が垣間見えた。それは、店の基本的な体験である『謎解き』を支えるのに充分な支柱であった。

そう、謎解き料理なのである。これは持ち帰り可の本日のディナーメニュー表なのだが、よく見ればナニコレ?連続の奇妙な名前が並ぶ。
奇妙なのは名前だけではない、料理がまた……なんか……
ああ、謎解きなんである。食べるTRPG、マーダーミステリー。ネタバレ厳禁なそれらと同じく、これ以上詳細を語るのは野暮ってものであろう。そんな奇抜な体験の中で、口にする料理はしっかりと、食べやすく馴染み深い味なのである。
『すべてのクリエイターは訪れるべき』と絶賛される意味が、デザートを口にするときにはすっかりとわかった。人々の注目を集める、奇抜で奇妙な料理の数々であるが、その周囲には確かで細やかな、そして地味な気遣いが隠れている。
チリ一つない、清掃された店内。覗き見える厨房でさえ油汚れ一つない。ライブ調理で扱われる器具にだって累積汚れは見当たらない。その無機質な美しさが、ミステリアスを盛り上げる。しかし、それは至極地味な清掃作業によって実現されているのは想像に難くない。
地味な作業がもたらす美しさに、プログラマーが、デザイナーが施すUIの、たった1秒1ミリの調整を思い出す。そのたかが1ミリの差がユーザーの手触りを劇的に変えてしまう。
そしてライブ調理の創意工夫。ただそのまま出せば良いものを、わざわざさまざまな工夫をして魅せる面白さの数々。まさにシェフの遊び心だがそこには全て「お客さん驚くだろうなー」という、プレイヤーを見据えたいたずら心がみて取れた。
時にアーティストぶってプレイヤーのことを忘れてしまう、そしてSNSの毒によりプレイヤーのことを敵にさえ思ってしまうゲーム開発者の憂いや傲慢を思い出し、こんな、こんな簡単な、「おどろいてくれるかなー」といういたずら心が大切だったじゃあないか、とわたしの中の少女が泣いた。
料理が、食べる人が居て初めて意味があるように、ゲームも遊ぶ人がいてはじめて意味がある。
「おどろいてくれるかなー」といういたずら心はアーティスティックな創意工夫とともに、統一され選び抜かれた食器のようなヴィジュアル、そして清掃のような地味な作業によって、本当に相手を驚かして喜ばす魔法になるのだ。
味も、見た目も、もてなしも、全てを手を抜かずにやり切ってこそ世界が生まれる。
遊戯性もグラフィックも手触りも音楽もなにもかもやりきって、自分のサイコーなゲームを作りテェな……と思った。