アガサ・クリスティのエルキュール・ポワロものを初めて読んだ。詳細は省くが、ポワロはサシで犯人に真実を突きつけると、やんわりと自害を勧めた。
えっ…………
勧めるの?自殺…………
わたしの中で慣れしたんだ探偵といったらコナンくんや金田一少年で、彼らは真実を暴いてはよく、犯人に自殺され、法の裁きを受けさせられなかったこと、また殺人犯とはいえ人命を救えなかったことを悔やみ、顔を歪ませていた。
それなのにポワロと来たら自死を勧めるんである。驚いた。100年だ。いや、100年も経っていない。それで、犯罪を暴いた後の探偵の振る舞いがこんなにも変わるのだ。
名誉の時代、誇りが……自己の矜持が、家族の名誉が傷つけられるぐらいなら、死んでしまった方が良い時代。
ポワロの時代はそうだった。WW2より前では、まだ最も簡単に絞首台送りになる時代でどちらにしろ殺人では死は避けられなかった。辱めを受けて死ぬのなら、自らの手で納得のいく終わりへ導いた方が人道的だ。それは国の機関ではない、私立探偵だからこそ言える秘密の助言であった。
秩序の時代、国の法機関は信頼に足り、殺人犯といえども公平な裁判を受け、生き続けることができる時代。
反して戦後、バブルも終わりの日本では殺人犯といえども名誉は守られすぐに死刑になることもない。国に明け渡すのが誰もが救われる、という感じである。少年であるコナンも金田一一も無邪気に警察機関を信頼している。
謎を解いた後の探偵の振る舞いは、如何にするか。遺されたものに対してどんな引導を渡すのか。
たかが一市民が個人の秘密を暴き立てて晒すことの罪とその後始末は、探偵の流儀としていつの時代も、ひとつの命題として横たわっている。