オーバードーズのその先

achamoth
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オーバードーズという言葉を知ったのは、シドアンドナンシーだった。シドの死因がそれだった。恋人のナンシー疑惑の殺人、数々のパンクの伝説を背負ったまま21歳でヘロイン中毒で死んだ。

パンクスであると自負しているが、薬については何にも憧れがない。むしろ苦手である。風邪をひいて病院に行っても、薬を定期的に飲むのがめんどくさい。そこそこ大きな固形物を飲み込むのがいわんや辛い。

その上酩酊感も好きじゃない。酒は酔うためではなく、食事を美味しく食べるために飲むのである。酔うためだけに安い酒を飲んで肝臓を浪費するのは、わたしの価値観には合わなかった。

一度、Unityギルドの飲み会で前後不覚になるほど酔ったことがあるのだけど、自己を失い他人の靴を履いて、植え込みに腰掛けていたのに気がついた時には情けなくって仕方がなかった。宙に散った自己を必死でかき集めようとしたが、体も言葉もバラバラだった。なんて気味が悪い、自己決断もできなくなるなんて。何にも気持ち良くもない。死にたくなるような劇的な絶望さえもない。ただ情けなさが胸につのるばかりであった。

しかし、それでもなんだか、一線を超えてオーバードーズに沈む彼ら彼女らによくわからない憧れもあった。やはりロックをきちんと知るのなら、無頼をちゃんと知るのなら、自己を失うのも厭わないぐらいの、一瞬の享楽のために全てを捨て去る一瞬が、あった方がいいのかもしれない。

けれど、残念ながら世界は終わらないのだった。

父はここ1年ほど、知り合いの入退院の面倒を見ている。彼女は前後不覚で意識はあるが自己はなく、身体はうまく動かず、一切の大人としてやるべきことが何もできない。

そんな風になってしまったのは、度重なるオーバードーズとアルコール中毒のためだった。退院しても、ひとりになって寂しくなるとまた繰り返す。この1年で3〜4回は入退院を繰り返して、そのたびに父が手続きをしてやっていた。

彼女は、40〜50代の、中年だ。本来なら不惑と言われる年齢で、惑いまくってもう何にもないのであった。

その姿を、彼女が多くの薬剤を飲み干す姿、入院してぼんやりする姿を想像すれば、もはやそこにはオーバードーズという言葉の響きが持つかっこよさはない。

ただ、情けなさがつのるばかり。