ギャンブルが全然ハマらない。
成人後、せっかくだからとパチンコに行ったら30分で1万円が溶けて、もうなんにも楽しくなくて意味わからなくてそれ以降行ったことがない。
母親はパチンカスのため、母を狂わしたパチンコという遊戯はどれほど魅力的なのかと期待大で触ったので肩透かしであった。
また、街を作る箱庭系ソシャゲにハマった時には、そのゲーム性と良心的な石の配布、セールなどのおかげで素のガチャを回すことはなかったのだが、新規実装のキャラがマジで欲しくてその時だけ、素の価格のガチャを回したことがあった。
あの……10連引く度に何かが失われていく感覚。どんどんと社会が憎くなっていく感覚。あれは本当に不気味であった。落とし穴が足元にまで迫っていくのだ……あまりに怖すぎて、新規実装のキャラのことは諦めた。その時に、どうやら単純なギャンブルは自分には向かないことを思いしった。
思えば、煙草も吸わない。
酒は大好きだが、食べ物と合わせてゆったり飲むのが好きで、ストゼロ飲んで正気を失うのは全く魅力を感じない。
酒はね、酒が背負っている各国の食文化の歴史、引いては一緒についてくる神様まで飲むのを楽しむんですよ。ワインはキリストの血とうたわれ、ウイスキーは天使のわけまえを渡し、日本酒は神前に捧げられ御神酒もお屠蘇もありまして……
自分の手で何にもできない運命、偶然(アレア)や自分の感覚を手放す酩酊(イリンクス)がきっと好きではないのだ。自分で自分をちゃんとコントロールしていたい、その欲求があまりにも強い。
しかし、一度運命の女神を見たことがある。
L'Arc〜en〜Cielのライブのアトラクションで、開場前に楽しめるカジノが設置されたことがあった。入場時にもらえるチップをかけて、0になったらおしまい、10枚になったら賞品がもらえる。
ブラックジャックの席、わたしと同卓に着いた2人組の男の子のうちひとりがツンツルテンになった。連れの男の子は、それなら自分もゲームを終えようと、手持ちのチップを全部賭けた。
そのときオープンされたカードで、連れの男の子は勝った。掛けが大きかったからバックも大きく、一気に賞品が貰えるチップ枚数にまで貯まって男の子2人は卓を去った。
ちまちまと1〜2枚かけていたわたしは呆気に取られた。これが……ギャンブルなのかと……
一発逆転のロマンにわたしは……
惹かれなかった。
恐ろしささえ覚えた。ちまちま1枚積み重ねて着実に貯めていった方がいいな、と思った。
そう、筋金入りにわたしはギャンブルに向かない。