そんなに書くことないけど寝る前にちょっとだけ…落ち着かない気持ちがするので
五十嵐純さん(西島さん)のドミナントを読んだ。これで落ち着かない気持ちになっている。内容に心がざわめきすぎてとても整理して物語について話す気持ちになれないので中身には触れない
西島さんのことは知っていたがしっかりした作品を見たのはこれの次回作(今連載してるもの)が初めてだった
とにかく筆致が美しい 演出作画ともに素晴らしい たおやかで清純なあでやかさがあり、しっかりした体格なのにどこか可憐な人間たち 美しいものを固く柔らかく包むような表現力と滲み出る性癖…
すごい こんな表現力があったらどこまでいけるんだろう そんなふうに考えてしまあ力強さがある
明日ちゃんのセーラー服を思い出した あれを初めて見た時の震えるような感情が蘇ったみたいだった
にしても心が訥々と(←この感じ初めて知ったしなんなら心配になって意味を調べ直しちゃった)していて得体の知れないものが次々に流れていく感覚があってざわめいて何の言葉にもできなそうだ
とりあえず紙の本でこの美しい筆致を直に感じたいです
アナログなのかなデジタルなのかな…生原稿奪い去りたい
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呟きや日記を自分だけのディスコ鯖に集約するようにした 私はそのSNSのフィールドの雰囲気を露骨に受けやすいタイプであり、そのSNSにいると普段の思考回路から出るわけのない言葉が滔々と出てきてしまう癖がある(誰でもそうだと思うが顕著だ)
思うところがありブルスカのような表垢で個人的な思考をポストするのは控えるようにし、Xの身内のみの鍵垢ではネガティブなこともありの素直な少し言いづらいことを、ポジティブともネガティブともつかない自分の思考はこのクローズドブログでするようにしていたのだが、これがうまくいくと次の問題が浮上した
鍵垢にログインしていると自分の思考が乱暴になってしまうのだ 意図的にそうしてるわけでもむしゃくしゃしてるから吐き出したい!となっているわけでもなく自動的に知らない本来の存在するはずのない自分に移行してしまうのだ 日常生活の中で嫌なことがあってそれ吐き出しに行くのであれば効果的な使い方なのだがその場に行くことで初めてネガティブな感情が突如生まれ出すというのは不気味かつそんなことはもちろん本意ではない
元々私は鍵垢を持つとこうなってしまうのはわかっていたのでR18用以外では作らないことを決めていた しかし周りの影響と、その時置かれていた自分の状況を鑑みて持つことにしたのだ
だがその時の窮した状況を脱し緊急的な必要性がなくなぅたのであればわざわざ自分から不幸になりにいく理由はない そしてたとえ親しい人であってももう自分の「楽しい」が知らないうちに人の「嫌なもの」になってしまうのも、それを気にして好きなものについて話すのを控えるのも嫌だと考え、更に自分の気持ちを出す場所を限定することにしたのだ
まあまあ後ろ向きな考えに見えるがむしろポジティブな気持ちで選んだことだった 最初は見られることのない場所にわざわざ何かを投稿することはないだろうと思っていたがこれが意外と役に立つ
日記a,b,c,dと今は明確な区別なく自分の思考、日常生活、良かったもの、自分のアイデアのメモなどをしている こうすると自分の頭も整理できるのだ
たとえば自分の思考は自分だけにしか見えない場所なので赤裸々に語っている部分も多いにあるがそこにいくだけで自分の思考に包まれる安心感があり心が和らぐのだ 自分の思考を世界に発信するのは緊張感が伴うが、自分だけが自分の思考に包まれる世界は温かみがある 新たな発見だった
思考については落ち込みから始まる文章が多いがほとんどの確率で長文の末前向きな言葉で思考は締め括られる 素直な気持ちで書いているのに、むしろだからこそそうなることに驚いた 私は落ち込みやすい人間だが基本的に人が好きで世界が好きで自分も好きで自分に期待していて「頑張りたい」と何度もたくさん思える人間なんだなと気づくことができ、自分が、少し、より好きになれた 嬉しかった
この自分だけのディスコ鯖というのはまた違う周りの人の方法を模倣したものだ ある人の真似をして自分には少し違うなと思ったらそれも保って必要な時は使いつつまた他のある人の真似をしてみて自分なりの自分や世界への向き合い方を模索していく
楽しいし、(真似しようと尊敬できる友人がいることや変わろうと努力する意欲が自分にあることなどなんやらかんやらを含めて)暖かくて幸せだ