「オタクらしさ」に関する書き散らし

真夜中のあほげ
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公開:2025/1/3

最近、オタクであること、とか、オタクらしさに悩むことが多くなった。

元々自分は熱しやすく冷めやすいタイプで、一つのものに長くハマり続けることが物凄く苦手だ。最初こそ、起きているあいだじゅうずっと推しや推しカプのことを考え、熱病に魘されるように狂わされるのに、だいたい3か月くらいしたら燃え尽きたように情熱がなくなってしまう。

周りを見ていると年単位で同じジャンルにいる人が多く(というかジャンルにいるということ自体長くいることを前提としているよな)、自分って冷めやすいんだ、それってファンと言えるのかなとか、オタクと言えるのかな、とか、そんな自分のことが恥ずかしくなることもめちゃくちゃある。少なくとも褒められた性質ではないんだろうな。

そんな私も去年までいたジャンルには一応一年以上身を置いていた。専用アカウント作って、たまに小説を投稿して、作品の感想や咀嚼の記録を呟いて、交流はドがつく苦手なのであまりしなかったけれど、感想を貰ったり送ったりもした。

この記事で書きたいことからは少し脱線するが、去年のジャンルはいつも通り三か月とかで熱が落ち着いてもなお推しカプに向き合い続けてみたところ、熾火のようにキャラやカプに対する気持ちが持続するようになった。「この沼に住もう」と決めてやってみて初めてそういう体験をした。向き合い方、推しカプを捉える気持ちに変化があった気がする。いい意味で。

オタクの集まりに参加したり、オタクの友人と話していると、たまに「自分はオタクを名乗っていいのだろうか? というかそもそも私ってオタクなの?」と感じてしまうときがある。周りの熱がすごすぎるからだ。

友人が私と入れ違い式に同じジャンルにハマった。今まさに凄まじい熱量の友人は、アニメのワンシーン、推しカプたちの何往復かの会話を舐めるように見返し、キャラの視線の動き、所作、声の調子やその下に隠された感情までをものすごい分量の文章にして咀嚼している。毎日長文ツイートが止まらない勢いだ。

入れ違い式、と言ったように今私は別のジャンル・キャラにハマりたての炎を燃やしているけれど、そこまでの熱量で咀嚼はできていない。

「一番熱があるときでこんなもんなのか、私は」

と思ってしまう。

何かを好きになるとき、ハマるとき、どれだけ深く入り込むか、または入り込めるかは人によって違う。天性の要素が強いかもしれないし、修練によってその深度は増すかもしれない。

思えばオタクじゃない人の多くは、何かに深く深くハマり込む、狂うという感覚を知らない人だと思う。インターネットでオタクばかりを見ていると、つい何かに深くハマり込むことが当たり前で、それが然るべき姿だと思ってしまうけれど、全人類を見てみるとそうではないのだ、たぶん。人間は本来ミーハーなのだ、たぶん。

すごい、自分を正当化するみたいな言い方になってしまった。正当化したいわけでは別にない。私だって推しに狂うという感覚は知っているから一応オタクの自認はしている。ただ、「オタクって狂うことで自分のアイデンティティを確認してないか?」とも思ってしまうことがある。私だけなのか?

何かに狂っているとき、何かに狂っている自分が好きだと感じる瞬間はオタクをやっていて正直ないだろうか? 私はある。そういうとき自信がなくなったりもするし、でも推しのことが大好きなのは事実だし、まあそれでもいいのかなとも思う。

「オタク」という言葉が生まれたことも、それが近年特に世間一般から受け入れられる普通の存在になっていることも、考えてみれば不思議なことだ。単に「それが異常に好きな人」という呼び方ではだめだったし、「私はこれがめちゃくちゃ好きです」ではなく「私はオタクです」というのが普通になった。「好く(like)」という行為と「である(be)」という状態とは意味が全く違う。やっぱりそれって少なからず、オタク現象が「好き」という行為を通じて人のアイデンティティを形作っているからじゃないのか?

オタクはしばしばにわかのことを軽蔑する。同人女の世界についていえばミーハーはイナゴと呼ばれて嫌われる(金儲けのために同人やってたらそれはそう)。オタクを名乗ること、ファンを名乗ることはハードルがとても高い。私なんぞ今推してるのは音楽だが、10年聞き続けていてもそのアーティストのファンを指す固有の名称で自分を指すのは怖い。

オタクの世界ばかり見ていると、何かに深く長くハマり込んでいるのが正しい在り方だという価値観が自明のもののように思えてしまう。でも外の世界ではそうとは限らない。ミーハーで幸せな人はいくらでもいるし、……というかむしろそういう人の方が多いかもしれない。

なんか……逆に言えばオタクって……根本的にあまり健康じゃないんじゃないか……? 中島梓とかそんなこと言ってなかったです? それは腐女子か。

「何かにハマる」という動作を「オタク」という状態、アイデンティティにしたのは誰だ? 本人たちなのか? それとも外部か? わからないけど、「オタクである」というbeな言葉があるからこそ、それはアイデンティティの問題になって、「オタクであること」を自分の価値にしようとする人も出てくると思う。そして根拠のない憶測だけどそういう人は案外多いかもしれない。

わからない。私は本当はオタクではないのかな? わからなくなってきた。元々アイデンティティクライシスに直面することの多い人間なのは自覚があるからこそ。何かに狂っている状態じゃないと不安で生きていけない。

主語がデカすぎかもしれない。私が根本的に知らないだけで、本当にアイデンティティとか関係ない真のオタクがたくさん存在しているのか?

アイデンティティをオタクであることに求める人というのは、というかオタクに限らず自分のアイデンティティを何かに求める人というのは、本来あるがままの自分自身を肯定できない点でとても精神的に不健康だと思う。

でも確かにすごい健康そうなオタクもたくさんいて、ただ決まって共通しているのは多趣味で行動力があることかなと思う。まとめ方雑すぎるけど、推しジャンルに依存しすぎず色々なものを好きでいたい。

@ahogemidnight
腐オタクでやや年増の大学生でゆるいスシローの回し者です。とっ散らかった日記を書きます。