原作を越えるという原作愛

 この前ちょっとした機会……いや、クソデカ機会があって、あるマンガの作者の話を聞いた。漫画家さんの知識の深さと広さに驚嘆し、会場での振る舞いや創作に込めている想いから滲み出る人格の良さにただただズドンズドンと心を撃たれるばかりの時間だった。この人マジで全人類の理解者たりうるのでは……(持ち上げすぎ)

 創作をする人間である以上、メッセージやテーマ性が全面に出すぎる、というのもなかなか難しいところだ。私が話を聞いた印象では、その漫画家さんは面白さを追求しつつ、創作の可能性を突き詰めまくっている人だった。そして彼からは確かに人間というものへの深い洞察を感じたし、少しでも世の中に何かを残していきたい、何かを変えたい、という強い思いをビリビリ感じて激アツだった。

 さて、他人の作品の二次創作をしている私はというと、本物の創作者たるものを前にしてすさまじい衝撃を受けるとともに、自分の愚かさを突きつけられた。こんなにたくさん考えて作り手たちは作品をつくり出している。命を削った中から生まれる作品は、確実に世の中の何かを動かす……という気がする。

 誰かが魂を削ってつくったものでBL二次創作をするって、自分は愚かだな……と思ってしまった。原作とは全く違う場所を見ているような変な気持ち悪さがある。

 もちろん二次創作がガイドラインのあるなしに関わらず認められている(明確にでも黙認であっても)作品はこの時代に溢れている。けれど、そんなことを想定していない創作者だってこの世の中にはたくさんいるわけで。キャラクターも物語も舞台も、全てがぴったりと噛み合って、絶妙なバランスで初めて成り立つ作品たちがあるわけで。そこからキャラクターを引きはがす行為って、どうなんだ?

 二次創作、やめるかぁ……。

 そんな風に思ったとき、

 いやいや、でも、じゃあ、作品を読んで迸るこのパッション、止まらないアガペー、一体どこで消化すればいいんですか!?!?

 と、二次創作以外に愛のやり場を知らない自分がいることに気付いてしまった。

 もちろん公式にお金を落とすことは一つの愛の形だ。でも創作に繋がる愛というのは、ただお金を出すことで鎮まるようなものでもない。自分の腹の中に暴れまわる感動と余韻と混沌、そういうよく分からんぐちゃぐちゃの感情を、毒抜きでもするかのように外に出さなければ耐えられない。多くの人はこういう気持ちでかいているんじゃないかと思う。

 二次創作……やっぱり二次創作になってしまうの?

 一般的に女性向け二次創作の世界では、原作こそが至高であり、「もうこっちが公式でいいよwwww」といった感想はご法度、という風潮があるように思う。二次創作する人々のいくらかは「所詮二次創作は二次創作。人様のキャラクターを借りているわけだから節度を持たなきゃいけない」と思っているだろう(昨今二次創作というものが目につきやすい場所にあったりするので異論は認める)。そうでなくても、こういう考えが説得力を持っていると思う。私もこの意見に対しては全くその通りだと思う。

 その上で、ある意味、原作を越えるということも大きな原作愛の形なのではないか? と思い始めた。その理想は一次創作だ。ある作品を読んだり観たりして、そのパッションを一次創作に向け、摂取した作品を土台の一つにしてそれを超えるものをつくり出す。

 Google Scholarなんかを開くと、検索バーの下に「巨人の肩の上に立つ」という文言が書かれている。研究の世界では、過去の研究の集積の上に、あたらしい研究が生まれてくる。けれど、だからといって過去の研究が無駄なものになるわけではない。言い方は悪いかもしれないが、踏み台にし、踏み台にされることこそが価値になる世界だってあると思うのだ。

 創作物も、ときにはそういう性質を持つような気がする。とりわけ、「この作品を生み出すことで社会に何か影響を与えたい」という作者の声が、作品の中から強く聞こえてくるときは。

 何か作品を読んでめちゃくちゃ感動して、自分も何かを生み出す。そこにはその人を通した独自の新しい感動の描き方があったりして、それがまた違う形になって人に影響を与えたりするかもしれない。イメージ、沢山の人が受け、作ることで、その分多くの人がフィルターになって、あるものが濾過、濾過、濾過を繰り返して別のものになっていく感じかも。でも、元の創作物が持つ味も個性もきっと変わらない。そういうあり方が一番いいような気がする。

 そもそも、全くのゼロから新しいものを生み出せる人間なんて本当にいないので、二次創作とそうでないものの境目も、本当はすごく曖昧なのかもしれないけど。羅生門だって今昔物語の二次創作なわけだしね。でも今昔物語のあの文章の中から、人間の影の部分、悪の部分を読み取ってそこを精緻に描いてみせたことで、価値ある文学の一つとして羅生門は残っているわけだ。

 うーん、そう考えると、書く力って他ならぬ読む力なのかも。

 とにかく原作をとことん読み深めて、他の作品もメディア問わず読みまくって、何か新しいものをつくり出せたらベスト。

 とか言いながら、私は結局また二次創作に戻ってしまうのだろうね。でも今回漫画家さんの話を聞いた経験が、二次創作の自分なりの方針について考え直すきっかけにはなった。別作品の軸やキャラクターを使うにしても、どこかに自分が原作を通して思ったこととか、伝わってきたことみたいなものを、もっと巧みに入れ込めたらな、とか思った。

@ahogemidnight
腐オタクでやや年増の大学生でゆるいスシローの回し者です。とっ散らかった日記を書きます。