片付け 明文化

藤代
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片付けと書くが整理整頓のことだろうか。物が多すぎて整理がついていない状態を解消しようとしている

 

 

 

薄々気づいてたけど、俺は父親に褒められたくて片付けをやっている……

 

昔から物が手放せない

小学生の頃から上手く片付けができない。片付けの度に父から方法を言われる。正論なのだがそれが達成できないので、責められているように感じられてつらくなる。つらくなって、できない

基本的にはあるもの全部その場に広げて出して、分類してから個別に見ていく。最初から個別に見ていってたらいつまでも終わらない。何年も触っていない物は不要物 という話

1人で片付けしている間も、過去に言われたそれが思い出されて、だからやってるんやんか と跳ね除けながら作業することになる。非常に消耗する

どうしても、記憶や愛着や、とにかく感情が動く。最初から全部はできない、せめて一部でも片付けようと個別に見ていく方法で進めるが、言われてきたやり方と違うので、ずっとセーブがかかる。そんなやり方では終わらへん、もっとちゃんとやらんなん と、絶対感情処理が必要な分このじっくりが最速なんじゃい!! のせめぎ合い。しんどい

片付けしている間脳内で否定され続けているということか。そらしんどい

言い訳がましいが。最初から最後まで完了させなければ、と思うような言い方をしてくる(と感じている)。言われた方法で達成できなければ、と思ってしまい、それはハードルが高いことで、そもそも始めることができないでいた

不要に分類するとすぐゴミとされるのも苦手だ。ゴミってことやな と言われると思うと、不要と言えない傾向に拍車がかかった。手放せない俺が強化されていく

何年も出してなかったんやろ、と言われるのが怖くて、片付けて過去までたどり着くのが嫌になった。どんどん片付けに手を着けられなくなる

 

書き出すと自分でもしょうもない言い訳で情けないけど、めちゃくちゃ涙が出てて、だからきっとこれのどこかですごく傷ついているということらしい。鼻ちょうちん連続記録達成してるわこれ

えーと

まだいるものを親から 要らんやろ、と言われて、そして自分の正当性を主張できなかった。親の基準は正しいように感じられて、自分の置いておきたいは思い出で未練で感情ベースで正しくない気がした。だから言えなかった。つまり、自分の感情を大事なものとして扱わなかった/扱われなかったために、傷が生じていると考えられる

そのため、個別に見て(例えば、ノートの中身を見ていく)要不要の判断をすることは、たとえ時間がかかろうとも、自分の感情を処理することとなり、重要なプロセスであるのではないか

不要の判断ができなくてもいい、ひとつずつ見ていくことが自分には必要なのではないか。それ言ってたら終わりませんが

また、言われたことをできない自分がつらい、があると思う。できない自分があるのはつらい。もう人生ずっとそう。とりあえず、できた部分を見てよしよししていきましょう。片付けしてえらいしそもそも片付けしようとしてるのもえらいぞ

 

明文化する。父の言う方法は理想である。自分にはできない。できないで別に良い。片付けの方法にも色々あり、合う合わないがある。言われた方法は、合わなかった様子。自分にできるやり方で良い。時間がかかるのが問題とされているようだし、ずっと焦っているが、実は時間がないわけではない。もう春休みも夏休みも定期試験もないのだから

 

ここでこう書いても多分またやるときフラッシュバックするし脳内でせめぎ合いが起こるしスムーズにはいかない……

まあきっと、自分で片付けをしてさらに褒められることで解消されていくのでは

だからこんなにも褒められたいのか……?

 

 

追記

できないできない言うたけど祖母や母の書類整理ではその方法でやっていたのでは……? すげー できてるやん

@aikuch_ium
日記や思考出力等