「まさか…まさか貴様が神の左か………!」
“あの時”の記憶が蘇る。
思わず今はもう動いていない心臓を掴む勢いでマントの内を握りしめた。
聞こえるはずのない鼓動が早鐘を打っているような錯覚に陥る。嫌な汗が出る。
見えているのは“あの時”の景色。
薄暗闇の中で見える蝋燭に照らされた輪郭…私の 。
そして振り上げられたナイフは光を美しく反射する。
自身の悲鳴で我にかえった。
永遠のように長く感じたその時は瞬きを数回する程度の時間か。
やがて短く乾いた息が漏れる。手が震える。膝が笑う。
全身が歓喜に震えている!
やっと、やっと見つけたぞ!!
あの時と姿は変われども、貴様は私の……!!
*****
「ガブリエルだ」
「よろしく、ガブリエル」
最初は冴えない印象しかなかった。
特に話が面白いわけでもなく。
だがどこか惹かれた。
神のために剣を振るう。
多くの人の死と荒廃する大地を目の当たりにしてもその瞳から光は消えない。
良き友だった。隣で剣を振るえること、共に神に仕えることが誇りだった。
だが、いつしか闘うその美しさを己のものにしたいと思った。
見ているだけでは足りない。
私の…………
*****
「ヴラド…何を…」
「大丈夫だ、…何も怖くない」
あぁ、美しい顔に傷がついてしまった。
頬に走る赤い線。悲しい感情と共に言葉に表せない感情が湧き出でる。
今はこの赤さえも愛おしい。だがきっと貴様は白が似合う。
流れる雫を拭おうとそっと腕を伸ばすが、掌に強い衝撃が走ったかと思えば世界がぐるりと反転する。
一瞬息が詰まった。同時に石畳に甲高く響く靴音。
何が起きた?
走り去る音に何も考えられなかったがそれだけははっきりと分かった。
拒絶だ。
何故だ?
理解が追いつかない。
何故だ…何故だ何故だ何故だ何故だ!!
「私を…拒んで神を選ぶのか!!」
逃がさない、逃すものか。
甲高い靴音を追う。
「私を見ろ、ガブリエル!」
背中が近づく。腕を伸ばし肩を掴む。
振り向きざまに腕を掴まれたと思うと迫ってきた拳をまともに喰らう。
衝撃に視界が飛ぶが掴んだ肩は離さない。
殴った勢いでよろめいたところにそのまま体当たりをくらわし壁に叩きつける。苦痛に歪む顔。腕を掴んだ力が緩んだ隙にすかさず足を払った。
うつ伏せに倒れ込んだ上にのしかかり、首を抑えつける。
荒い息だけがこだまする。
「私と共に来い」
優しく語りかけ、繰り返し名を呼ぶ。
泣いた幼子を、あやすように優しく。
「…こと…わる…!」
息が止まる。
再び息を吸った次の瞬間こめかみに走る熱。
背中への強い衝撃と甲高い音が響いた。
あまりの衝撃に強く目を閉じた。全身を走る痛みに歯を食いしばる。
さして間もおかず靴音が近づく。
薄く目を開くと遠くに見える蝋燭の光とそれ背負い私を見下ろす黒い影。
薄暗闇の中で辛うじて見える輪郭…私の最愛。
そして振り上げられたナイフは光を美しく反射する。
風を切る音。
そして胸に走る耐え難い痛み。
言葉にならない音が響く。
熱い!熱い!熱い!!
自身の胸を掴もうとして触れたのは銀色のナイフ。
銀だっただろうか。見ようとしても視界が定まらない。
視線を上にずらす。息が吸えない。
手を伸ばす。届かない。届かない…。
「 」
息が漏れるだけで音にならない。
恐怖と困惑をはらんだ瞳が見えたような気がした。
あぁ、私の最愛。私は…。
「お前はここにいてはいけない…!私の前から消えろ…!」
胸にかかる力。
その瞬間、全てが闇に落ちた。
*****
「うう…なんかいかにも出そうな雰囲気…」
「カール、それは承知の上できてるはずだが?」
そこそこ背は高いだろうに猫背の男は歩幅が狭い。
ただそれでも少し前を歩く長身の男に置いて行かれまいと早足で歩く。
「ねえヴァン・ヘルシング、僕正直、伯爵以外はごめん被りたいんだけど」
「最低でも花嫁たち、下手をすればもっといる」
「うぅ…」
命令がある以上、村で待つという選択肢はなく。
自分の発明にそこそこ自信はあるけど、必要以上に命を危機には晒したくない。
一刻も早く終わらせて、修道院に戻りたい。カールの頭はほぼそれで一杯だった。
2人の足音が城の大広間に響き渡る。
まだまだ先が長そうでカールは思わず首にかけている十字架に手をかけた。
お願いだから、この音で起きてこないで…!
ロザリオを握りしめて祈る。これでもかと祈る。
修道僧だけど酒も飲む、女も抱く、それでもヴァン・ヘルシングを助ける発明も沢山した!
主よ罪深き子羊をどうか助けて!!
発明もっと頑張りますから!!
そんな祈り虚しく、突如聞こえた耳を突く音に共鳴するようにカールは叫び声をあげた。
「走れ!カール!!」
振り向きざまに自分に向かって武器を構え、そう叫ぶヘルシングの声に、廊下ににつながると思われる扉にむかって全速力で走り出す。
自分を狙っている訳ではないことの自信はあった。絶対後ろに何かいる!!そう直感した。
この時だけは修道服の長さに舌打ちをしたくなった。
耳をつんざく悲鳴のような叫び声。
なんとか扉を押し開き、廊下に転がり出る。
「ヴァン・ヘルシング早く!!」
ひと1人通れるだけの隙間まで扉を押して男を待つ。
こちらに向かって走ってくる男のその後ろには、叫声をあげる空飛ぶ怪物が。
冗談じゃない!
ギリギリ隙間を通り抜けたヴァン・ヘルシングと一緒に扉を閉め、そのまま全力で扉を押す。
大量の何かが扉にぶつかって来る衝撃に耐えながら、意味がないとわかっていつつも早口で祈りの言葉をひたすら繰り返した。
扉への衝撃が弱まったタイミングで扉に閂をかけた。
しばらくはのこの扉からあの怪物どもが入ってくることはないだろう。
落ち着け落ち着け、全身が心臓のように脈打つのを鎮めようとカールが独り言を繰り返す。
ここは空気が濁っている気がする。
外の空気が吸いたい。
あれ、誰か僕を呼んでる気がする。
外の空気が吸いたい。
「ヴァン・ヘルシング、僕ちょっと…「開けるな!!!」…へ?」
「こんばんは、ボク♪」
気がつけばカールの隣には黒髪と金髪の女性。色っぽい笑顔と共にカールに身体を密着させてきていた。
両隣にいる女性の顔を交互に3度ほど見る。
目が合う。
その正体に気づき一気に鳥肌が立った。
「ひっ…!!」
「カール!!」
次の瞬間、ガラスが割れる音と、耳を突く超音波のような笑い声が三重に響いた。
ぐいっと肩を掴まれたかと思った次の瞬間、踏ん張っていたはずの床は無い。
「捕まえた!」
「捕まえた!!」
「さあ一緒に遊びましょ!」
あっという間にヘルシングの姿が遠ざかる。
修道僧、吸血鬼の花嫁に攫われる。
そんな新聞の見出しがふとよぎった。
「うそおおおおおおお!!!!」
*****
花嫁たちの楽しそうな声が聞こえるのは侵入者を狩ったか。
赤黒い液体をグラスの中で揺らし、飲み干す。
判別出来るかは期待できないが、侵入者の顔でも見に行くかと重い腰をあげかけ、ふと気づく。
外は賑やかだが、城内がいやに静かだ。
「…ヴァン・ヘルシングとやらはまだいるようだ」
ソファに座り直し耳を澄ます。
人間であれば聞こえなかったであろう絨毯を静かに踏む音が聞こえる。
その音はだんだんと近づき、部屋の前で止まった。
扉がゆっくりと開くと、彼方の心臓の音が聞こえる。
緊張と警戒で速くはあるが、死を前にした人間に比べたら落ち着いた速さだ。
「ようこそ、……ヴァン…ヘルシング!」
言葉に反応して男は引いていた顎を少しあげる。
先ほどまで見えなかった鍔の広い帽子の影から見えた瞳に、目を疑った。
“あの時”の記憶が蘇る。
今はもう動いていない胸を掴む。鼓動が早鐘を打っているような錯覚に陥る。嫌な汗が出る。
フラッシュバックする“あの時”の景色。
自身の悲鳴で我にかえった。
「まさか…まさか貴様が神の左か………!」
目の前の男も驚きを隠せないようだった。
「ヴラド…。お前がドラキュラの正体か」
ほんの少しの間、声を発することもなく互いを見つめる。
やがて短く乾いた息が漏れた。握り込んだこぶしが開かれ、膝が笑う。
全身が歓喜に震えている!
「お前がそうか、ヴァン・ヘルシング!
私を殺した男、ガブリエル・ヴァン・ヘルシング!!」
やっと、やっと見つけたぞ!!
あの時と姿は変われども、貴様は私の……
誰よりも憎く、そして誰よりも愛おしい男!
「400年…400年だ…!
私はあの日を忘れた事などない!」
「あの時確かにお前は絶命していたはず。
…悪魔に魂を売ったか、ヴラド」
「売った?違うな。今や私がその頂点にいる!私を見ろ!神にも並ぶこの力を!今度こそ私と共に来い!ガブリエル!」
「断る!私を殺そうとしたのを忘れたとは言わせない…!」
恐怖と困惑をはらみながらも逸されたあの瞳から比べて今はどうだ。
怒りに混ざる畏怖と憎しみの色。
私だけに真っ直ぐ向けられる感情。
愛おしさがこみ上げる。
あの時よりさらに強く願う。
この男が欲しいと!
「殺す?……
そうだな、あの時の美しいお前を留めておくためには必要な事だった。
だが今は違う。この力があれば…貴様に死を与える必要はない!!
何、苦しみは一瞬だ。私に身を任せ少しの間眠れば…。
…永遠の命が待っている」
我慢しようにもできない声が漏れる。
歓喜に震えた笑いが響く。
「共に行こう、私の最愛。神の左など捨てるのだ!」
私の手をとり、永遠に……。
神などには渡さない…!