イジメられることは考え方によっては、誰かの役に立っているとも言える。仲間はずれや暴力も誰かの快楽の上に成り立っているし、そう思うことで学校生活を生き抜いた私の言葉であるから、否定は受け付けない。生きる意味というのはその辺に転がった石ころみたいに、実は何だって良いのだ。夢や希望もそう。内容より持ち合わせていることが肝心なのだ。掴むことなど意味はない。私の10代の夢は、何となく生きて、何となく死ぬことだった。aiueo