2024年2月9日

ajtm
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まえがき

とくになし

厚手のニットを着たままベッドの上で迎える朝。濃紺のデニムのチュニックに腕を通し直して、家を出る前に洗い物と洗濯物の取り込み。過去の負債は取り返しがつかなくなる前に早めに返済した方がいい。

他人の喜ぶことががわかる人は、他人の嫌がることもわかっている必要があるという仮説。

冬のベンチは冷たい、温まる前に立ち上がることになった。尻も冷たい。

毎朝助かりたいと思っていて夕方あたりに今日も助からなかったなって思いながら諦めを握らされて、夜はあったりなかったり。今日こそは助かりたい。そんなに多くは望んでいないと思っているのだけれど。余分に持っている人のいくつかは、足りていることよりもそこから減ることが許せなくなっているから、他者に分け与えることができない。親しい隣人に分け与えているなら仕方ないかなと思う。奪い取るのは論外、奪われる覚悟ができているのだろう。

昨日歩道に落ちていたみかんは消失していた。そりゃそうだ。きれいなみかんだったから。

白米にバジルをひとつまみかける手間。

「くっくっく、美味そうなもの食ってるな...」と料理を褒めて立ち去るだけのヒト

やっと私に救済を与えようという気になれた。救済(カツカレー)

グミも食べる。

自然な流れとか縁とかが好きなので、誰かの計画通りに動くというのが嫌い。なるべくしてなるなら酸いも甘いも全て受け入れるが、『だから言ったじゃん』という名の後出しじゃんけんの手にはナイフが握られている。

夕方特有のあの空のあの色のあの言葉のあのあの『マジックタイムアワー』が出るまでに通り過ぎた様々な横文字。日が長くなって、夏に至るまでに数々の夜が追いやられていく。

視野が広がると余裕が帰ってくるし、余裕が帰ってくると視野が広がる相互関係。そこまでは分かるけどそのどちらかを取り戻す方法が心身をすり減らしながら目の前のタスクを虱潰しに排除していく止まり。古代ローマの王族とかの霊を身に降ろすとかしか浮かばない。

短時間で水をたくさん飲むたびに、短時間で水をたくさん飲み過ぎると水中毒で死ぬんだよなって怖くなる。人は簡単に死ぬ。

努力義務という矛盾。

人は理性と本能の生き物なので、やってはいけないけどやりたいことは残り続けるし、やらなきゃいけないけどやりたくないことも一応残る。やらなくてもいいしやりたくないことは消えるし、やらなきゃいけないしやりたいことは当然残る。なぜやってるかよくわかんないけどなぜかやってることもなぜか残る。

少し選択肢が増えたけど、心より身の方がまだ乾いた空気に荒らされている最中。元通りに慢心するには手持ちが心許ない。散らかった部屋で少しずつ身の回りの整理整頓から始める。

あとがき

今日より過去3日間の私、私に厳しすぎないか。自分自身を大切にできないやつは他人のことを大切にするにしても無理が垣間見えて見ていられない。まずはちゃんと自分自身を大切にしないといけない。精神的な自傷行為で一過性の快楽を得ていたと疑われても仕方がない。

今回はそういう方法で苦痛を麻痺させて療養を試みていたのだから快楽を伴っていても別に問題はないのではないか。現実を見ている者に更に現実を突きつけることに何の意味があるのか。ここはどの薬が効くかを試している実験場であり、おくすり手帳すら毎回忘れたと言う者は自分から苦痛を長引かせているのと同じ。

自分自身の中で是非を投げ合うことで頭痛を引き起こすことの滑稽さ。思考停止は強大なカンフル剤となり得るだろうけど私はそれを処方することを好まないのでこういうことが起こる。復帰したそうだったし、理屈をこねて若干強行しようとしてたけど、まだしばらく隔離。

4日しか経ってないけど思考の変遷が知れたし、まだ新たに私自身を知ることができるかもしれない。過去は自動的に積み重なっていくが、その時に何を思っていたかは写真には残らない。残された文章から筆者の気持ちを考える行為は試験にもなってる。でもそろそろ遡るのも面倒になる頃合い。怠惰。

今日は助かった方なんじゃない。金曜だし。

@ajtmsiddhartha
現実から逃げてきました 進捗だめです 土日祝は定休日           体調が悪い時もおやすみ