まえがき
とくになし
朝
3月は緩急と管理に気をつけようと思う。やるべきことをやれを強いても、やりたいことで先に埋めたくなる性格は一旦咎めず、気を緩める締めるにだけ意識を向ける。あとは管理。かばんのどこに何が入っているかも忘れているくせに重いものを毎日背負う必要はない。本当は常に手ぶらくらいの気持ちの方がいいけど、不安になるだろうから大目には見る。
振り返れば1月と2月は情緒がマイナス寄りだったんだけど、音楽を聴く・動画を見る・漫画を読む・思考をする・他人と会話する、とかの行動に対してコレはできる、アレはできないみたいな状態がままあった。コンテンツを享受するだけでも少なからず何かを消費はしている。大丈夫な時はその消費は瑣末なだけで。
スーパーのデカい看板の上にカラスが一匹だけ佇んでいる。集団行動をするカラスと単独行動をするカラスはやっぱり性格も違うのかな。
昼
特になし
夜
他者を憂いたり慮ったりすることができるようになった。言葉はかけるけど手を差し伸べるほど私も万全ではない。弱者同士で助け合うのは素敵だけど、本来手を差し伸べるべき人がその役割を怠っているのはよくない。
ぼんやりとした今日が終わってしまった。若い人は元気だな。年齢知らないからもしかしたら私の方が年下かもしれないけど。精神的には私の方が朽ちている。一応は火を入れれば熱が入るけど、時間の経過でどんどん砕けていく。
世の中のあらゆることはコンテンツとして消化できる。それを抑止しているのは個人の道徳や倫理観でしかない。敬意や嫌悪の匙加減で物事は高尚にも陳腐にもなり得る。プラスとマイナス。そもそも興味すら感じられないのがゼロ。多少ブレていても考える余地があるなら熱を帯びている証拠。胃が強いならなんでも拾い食いしてみた方がいい。
あとがき
何を言ってる。ロクに考えずに考えているから考えが散らかり散らかしている。
要は気分が上昇傾向にあって、目についたものについて考える余地ができてきたということ。ただ緩急と管理は私が最も苦手としていることじゃないか。ロクな計画がなくともその場しのぎの即興性でなんとかなってきたのが私の強みであり弱みだと思う。できたらいいなというないものねだり。大幅な気分の上り降りは制御できないというのが現状の見解。管理は、管理した気になって満足しちゃうのが常。
今まで視野が狭かった分、現在の立ち位置の情報を集めることが先決ではなかろうか。きっと安心を得ることもできるし、私の時間を何に使うべきかの優先度も付けられるはず。
ここ数年、私の操作方法についてたびたび考えているけど、なんとも難しい。それを考える余地と時間が度々あるだけマシか。