2024年2月8日

ajtm
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まえがき

この試みはひとまず2月23日までと決めていて、土日祝は休むので今日を含めてあと10回。飽きるのが先か、否か。あくまで実験場。

敬語は敬意がなくても使えるからラクだなという話は2月8日の思想じゃないのでボツ。2月8日の私も共感はするけど。

できることが日々すり減っていって、残ったできることをやってるって感じ。

取り立てて掘り下げるほどの思案がないのでダイジェスト。

椅子がふかふかな電車、もっと増やしてほしい。よく寝れるので。

今年も始まってしまったヤマザキ春のパンまつり。性懲りも無く検索するとサジェストで『ヤマザキ春のパンまつり2024 攻略』『ヤマザキ春のパンまつり もらう家の特徴』とか出てくる。1981年の春から始まったらしい。2081年には100周年だね。ほぼ日本の伝統行事じゃんね。

歩道の端に落ちているきれいなみかん。ゆっくり腐り落ちてコンクリートに染み込んでしまうのか、ゴミとして回収されるのか、都会を生きる小動物に食い荒らされるのか。土に還れなくなったみかん。

今何が流行ってるの?という問いにインフルエンザとか特殊詐欺と答えるユーモア。

基本的に不安が原動力で、それを解消するために行動してるんだけど、そういう時って行動自体のエネルギーと別で利息として余計なエネルギーも奪われている感じがする。あんまり何も考えずに自己研鑽ができたかったな。甘え。

他人の目があると頑張れるんじゃなくて、他人の目がないと頑張れない。似て非なる怠惰。

『言う資格』という言葉、言わんとすることは分かるけど、狡い押し付け感が強くてあまり好きではない。この人がそれを言っても言葉通りに受け取ることはできない という意味を曖昧にするべきではない。突きつけて貫く。

環境ごとに振る舞いに関して独自のルールがあって、その環境に応じた自分をロールプレイをしている感覚。『感嘆符を使わない』であったり『過剰なほど丁寧』であったり『口数が少ない』であったり『韻を踏まない』であったり。根が同じなので別の生き物とまではいかないけど、この環境ではこの振る舞いをしてもいい、しなくてもいいという縛りが逆に自由と安心を与えている。

『思う』『多分』『かもしれない』『感覚』という言葉を末尾に付けてしまうのは、仮にでもその考えを断定させてしまうのは危ういのではという気持ちの表れ。単純に責任を取りたくない時もあるけど。ただ言葉にする以上、言及された時に説明できるくらいの構造はしていないとダメだとは思う。非はちゃんと認めるけど、あまりにも間違いが多いと私が私自身を信用できなくなってしまう。間違いをなるべく出さないためのリスクヘッジ。やっぱり責任を取りたくないだけでは。

なんだかんだ今までうまくいってきたからこれからもきっとうまくいくのだとは思うけど、根拠のない安心に縋るほど神経は太くない。

健康的な加工食品。矛盾しているか否か。そこにあるならありますね。

頑なに夜と朝の境界を区切っていた頃よりも夜と朝の区別ができている。あえて曖昧にしておいた方がよかった例。

不在着信の通知が来ていて、身に覚えのないUberEatsからだった。もし今殺人事件が起きたら私はその時間にUberEatsを頼んでいたことになってアリバイが成立しなくなって犯人にされてしまうかもしれない。許せない。

目元に横のチョキを設置するポーズの名称が浮かばなかった。

チキン南蛮屋さんが臨時出店されることあるんだ。とても気になるけど常温のお惣菜って温め直すの面倒だなってスルーしちゃった。怠惰。

小さな空回りを覆すための執念。転んでもただで起きないためにはそれなりの時間転がり続ける必要がある。手ぶらでさっさと起き上がった方が早い時もあるけど悔しさを消し去るにはこの方法の方が手っ取り早い。結果は過程を覆う唯一の存在。

後ろ向きで後退したら前に進むみたいな言い回し、見えてない方向に動いている方が危ないんじゃないのという心配。

あとがき

景色はあんまり変わってないはずなんだけど以前に比べて情緒が凪いでいる。題材が失敗や低迷でも薄暗い表現を避けようとしている傾向。しかし景色は大して変わっていないので、浮き足立って、足を掬われて、未来の私の足を引っ張ることにならないように。私は大丈夫ですと言うにはまだ物足りない。余分にあるくらいでやっと他者に分け与えられるし。

@ajtmsiddhartha
現実から逃げてきました 進捗だめです 土日祝は定休日           体調が悪い時もおやすみ